「毎日、日曜日だね」
「ずっと休みでいいなぁ」
「遊んで暮らせていいなぁ」
……うつ病も6年目になった私は、最近、上のセリフをたまに言われる。
今日はこの「毎日休みでいいね問題」について、考えたことを書く。
その前に、このセリフを言われてしまう背景――私の近況――を報告。
近頃、8月~9月の私は、うつ病が徐々に回復し、ずいぶんと過ごしやすくなってきた。目が覚めている時間のうち、横になって過ごしている時間が30%、起き上がっている時間が70%くらいの割合で過ごしている。
今年の初めには、このブログの記事で、横になる70%、起きる30%と、寝起きの割合が逆だと書いているので、かなり急速に回復しているようだ。
脳の機能も体感で75%くらいまで復旧し、喋る時もあまり吃らなくなった。本も読めるし、映画鑑賞や観劇も出来る。
この夏は、6年間放置していたベランダガーデニングに再チャレンジもしてみた。
鉢を掃除し、アサガオとヒマワリの種を蒔き、花を育て、成長を見守った。無事に花が開いて、私はとても幸せな気持ちになった。植物の種を蒔いて育てるのは、未来を考えることが出来て、はじめて取り組めることだ。
何年も「一寸先は闇」で暮らしてきた私が、未来に希望を持って、花を育てたこと。それはささやかだけれど、私にとっては重要な出来事だった。アサガオやヒマワリは、若干不恰好だったけど生き生きと咲き、美しい花を見せてくれるのと同時に、無くした未来を取り戻させてくれた。
そのように自分で植物を育て、時の経過を感じるようになると、今度は空や雲、街路の木々や草花を見ても、季節の移り変わりが感じられるようにもなった。
今年の最初と比べると、感情がずいぶん回復してきたように思う。美しい、楽しい、面白い、切ない、愛おしいなど、以前は大雑把にしか捉えられなかったことが、今は細やかに感じられるようになってきている。
家族や親友となら、遠出も出来るようになり、この夏は友人の横水さんと一緒に、一泊二日で高知県へ旅行に行ってきた。飛行機にも乗ったし、船にも乗った。
以前なら、空飛ぶ密室空間や、海行く密室空間など、どこにも逃げ場が無いから、考えただけで半狂乱になったところだが、今の私はそれを楽しむことが出来るまでに回復してきた。
うつ病で療養中だからと言って、常にウツウツとしていなくてはいけない、なんてことはない。むしろ、失った意欲の回復のために、自分が楽しいと思えることは、出来る範囲でどんどん積極的にトライしたほうがいい。
私はそう痛感したので、この頃は、興味を持ったことで、私にもやれそうなことは、どんどん挑戦してみることにしている。
まだ時折、辛くて横になって過ごす日もあるけど、去年までのように希死念慮に襲われることもなく、なんとかやり過ごせるようになった。そんな日は、ダメな日はダメと諦めて、無理せず自分を労わりながら生きている。
……と、そんな感じで、概ね順調に回復してきているので、そのような私の様子は、少し離れた周りから見ると、「病気療養中」ではなく、「ずっと休日」に見えてしまうらしい。
そこで、私に投げかけられる冒頭のコメントである。
「毎日、日曜日だね」
「ずっと休みでいいなぁ」
「遊んで暮らしていいなぁ」
――悪意無き、痛恨の一撃。
これ言われると、本当に参る。これを言われたら、何も言い返せない。なぜなら言葉的には、まったくもってその通りだからだ。さらに言った相手には、悪気がない、と来ている。
でも私はこれらのセリフを言われるたびにカチンときて、傷つき、心の中がザワザワ、モヤモヤとし、それを引きずってしまうのだ。
なぜ、ザワザワ、モヤモヤするのだろう。
障害物は取り除いておきたい私は、この理由を解明したいと考える。
もしかして、何らかの思考パターンによるものなら、それを避けさえすれば、次回からはザワザワ、モヤモヤ期間を短く、または無くすことが出来るんじゃないかと思うからだ。
私はザワザワ、モヤモヤの成分について、漠然としたイヤな感じを、言葉に置き換えてみる。
ザワザワ、モヤモヤの内訳は、
怒り、悔しい、悲しい。
……こんな感じだ。
とすると、なぜ私は、
「毎日、日曜日だね」
「ずっと休みでいいなぁ」
「遊んで暮らしていいなぁ」
という、一見羨ましがられているようなセリフに、腹を立て、悔しがったり、悲しんだりするのだろう。
考えたけど、これ以上は、コレといった決定打は見つからず、よく分からなくなったので、なんにでも頼る方針の私は、認知行動療法のF先生に、次回の診療の際に相談してみることにした。
認知行動療法の診療日、問診が終わった後、私はこの「毎日休みでいいね問題」を、臨床心理士のF先生に話した。
ペンを両手で持ち、頷きながら私の話を聞いていたF先生は言った。
「モヤモヤの内容が、怒りや悔しさ、悲しみだというとこまでは、分かったんですね。
じゃ、順番に考えて行きましょう。
松桐谷さんが、休みでいいねぇ、と言われて、腹が立ったり、悔しいとか、悲しい気持ちになるのは、どうしてだと思いますか?」
「……えーと、言葉では、その通りだけど……、違う、私はそうじゃない、と心の奥底で感じるからです、たぶん」
「そうじゃない、って、どうして感じるんですか?」
「えーと、うーん……、
私は休んでるけど、休んでない……、から?」
「休んでるけど、休んでない、っていうのは?」
「あ、先生! 分かった! 世の中の人が言う、休みっていうカタチでは、休んでないと私は思ってるからです!
私はずっとずっと、24時間365日、うつ病をやってます。調子のいい時でも、いつ、うつの波が来るかと思ってるし、悪い時はもろに直面してます。
だから、のんびり休んでるわけじゃないのに……、って心の中で思ってるんです。だから、このセリフは、相手にそんなつもりがなくても、すごく嫌味に聞こえるんです!
そうか、だから、腹が立つんだー」
「じゃ、休んでるわけじゃない!って思うのは、私は理解されてない、っていう怒りや悲しみを感じる、っていうことかな?」
「そう! 分かってもらえてない感があります。だから腹が立つし、悲しい」
F先生との会話で、私は、なぜ上記のセリフにマイナス反応していたかの理由に思い至った。
――そうか、私は『理解されていない』という理由で怒ったり、悲しんだりしていたのか。
なるほどなるほど、と感心していると、先生は言う。
「理由が分かったら、後は対処ですね」
「対処……、うーん、思いつきません」
私は簡単にさじを投げる。先生はニコニコと言う。
「相手との関係性で対応すればいいんじゃないかな」
「関係性?」
「そう。その相手に理解されたいか、どうか。
理解されたい相手なら、自分の状況を説明をすればいいし、理解されなくてもいいや、という相手なら、ふーんと流しても良くないですか?」
「あ、そうか! 理解されないことに腹を立ててるんだから、理解されなくてもいいやと思う相手なら、いちいち腹を立てることもないっていうことですね。
理解してもらいたい人にだけ、休んでないよ、こう見えてなかなか病気は大変なんだよって、ちゃんと説明すればいいのかー」
「そう、だから、次からは相手に応じて対応する、っていう対策が出来たから、長くモヤモヤしなくていいですね」
「なるほどー。対策を立ててないから、モヤモヤが長引くんですね。でも、次からそう言われたら、相手によって個別対応することで、NGワードを乗り越えます」
私はとても納得し、感心した。同時に、心のすみっこでわだかまっていたモヤモヤが晴れていくのを感じた。
帰り際、F先生は言う。
「人ってね、常に答えを求めようとするんですよ。だから、今の松桐谷さんのように、答え=対処法が不明なままになっている問題は、心がモヤモヤとしてしまうんですよ。だから、答えを見つけてあげるのって大事ですね」
「なるほどー、良くわかりました!」
――臨床心理士の先生って、本当にすごいな。F先生しか知らないけど、F先生はすごいな。指示するのではなく、示唆で、私に答えを出させてくれる。
私は感心しきりで、目からウロコをボロボロ落としながら、病院から家に帰った。
だから、もし、同じようなことを言われて、腹が立ったり、悔しくなったり、悲しくなったりしているうつ病患者さんがいたら、先生と話した内容を元に、私なりにまとめた対処方法を、以下にお知らせしておくので、モヤモヤが晴れる助けになればいいな、と思う。気休めにでも。
「毎日休みでいいね問題」
――対処方法――
①「休めてていいね」「毎日日曜日」「遊んで暮らしてる」なんてことを言われたら、すぐその場で(モヤモヤを持ちこさないため)、その相手が、自分のことを理解していてほしい相手か考える。
②理解してほしい相手なら、自分が病気だということをめげずに根気よく説明する。
「うつ病は脳の病気で、そのせいで心に不具合が出る病気。元気そうに見えるかもしれないけど、24時間365日病気なのは、かなり大変なこと。
あなたはガンなどの内臓疾患の人に、『休みでいいねぇ』『毎日日曜日』『遊んで暮らせていいね』なんて言う?
それと同じことを言ってるんだよ」
ということを、それはもう切々と訴える。
それでもダメで、理解が難しいようなら、「休みでいいなぁ」「毎日日曜日」「遊んで暮らしてる」って言われると、病状が悪化し、良くない状況が継続してしまうので、そのセリフは言わないでほしい、NGワードですから、とその場で頼む。
③理解してもらわなくて結構、という相手なら、嫌味だと受け取らず「ふーん」とスルー(否定も肯定もあえてしないほうが楽ちん)。
カチンときても、理解されなくてもいいやと思う相手なら、自分も相手のことを理解する必要もないので、「別にこの人は、好きなように思ってていいやー、気にしない、気にしない」と、その場で感情を処理。
――以上、「毎日休みでいいね問題」について、引きずらない対策を考えてみた。
最後に、健康な皆さんにお願い。
うつ病患者さんに対して、今回の記事のような発言をするのは、人によっては、かなりのダメージを負ってしまうので、そう思っても、そう見えても、心の中にそっとしまっておいてほしい。
その一言を言わないという、小さな思いやりが、目の前のうつ病患者さんの回復の一助となるのだ。