病人らしく、なんてしなくて大丈夫。自分をカテゴライズする必要はないよ。自由に生きましょう。

私がうつ病になって休養せざるを得なくなった時、私は自分の病気を周囲に公開した。

私は小さいながらも会社を経営していたため、ずっと縁があって今後も継続契約のある取引先に、急な休業を納得してもらうためには、「病気になった」という曖昧な説明では足らず、診断書を提示して、うつ病であることを告げ、契約を解消してもらい、仕事を休止した。

人に会いたくないという、対人恐怖も症状に表れたため、賑やかに交際していた知人友人にも、私はうつ病になってしまったことを告げ、交際をストップした。

私は、私の関わりのあった関係者全員に、親しさの程度は関係なく、皆さんにうつ病であることをフルオープンにして療養を開始することにしたのだ。

精神の病であることが差別や偏見に繋がるという認識を、当時の私がまったく持っていなかったため、私は深く考えずに(深く考えられない状態でもあり)、原因を明確にしておいたほうがいいか、と、自分がうつ病であることを皆さんにお知らせした。

するとどうだろう。思いもかけず、様々な人から、ハンコを押すみたいに同じ反応が返ってきた。当時はうつ病の症状のせいで、頭も今より不明瞭になっていたので、曖昧にしか把握できなかったけど、今の私なら、ちょっと笑ってしまうくらい、同じ反応が返ってきた。

うつ病以前の私は、陽気で前向きで、調子のいい人だった。その私がうつ病になったことを知った皆さんは、

「陽気な人だったのは無理してたんだね。本当は繊細で傷つきやすいナイーブな人だったんだ、頑張って明るく振舞ってたんだ」

と、私を「そういう人」と決めつけた。1人や2人だけでなく、けっこうな人数からそう言われ、風の噂でも、私がそう評されていると聞こえてきた。

中には、

「松桐谷さんが無理してたこと、本当は繊細な人だってこと、分かってた」

と言う、透視能力のある人まで現れた。

私の知らないことまで分かってた、って、もはやスピリチュアル過ぎて、途方にくれるしかないよね。

そんなわけで私は、うつ病になったとたん、私を知る多数の人の心の中で「本当は繊細で傷つきやすくナイーブな人」というフォルダに入れられてしまったのだった。

そして発症から6年が経った今。

現在の私はそう思われてても別にどっちでもいいのと、自発的に会いたいと思うようになるまで、最小限の人としか会わないことにしたので、未だに私の風評被害を訂正出来ていない。特に急いで訂正する必要もないので放置してある。

なので私は、過去の人脈においては、「無理して陽気に振舞っていた、傷つきやすくナイーブな人」なのだ。

「傷つきやすくナイーブ」って……。

なんかもう、夜の校舎窓ガラス壊して回るくらいの脆さだ。または、産まれたての子鹿並みのひ弱さ、だ。

うつ病の発症要因もいろいろあるし、
(↓私の場合)

私がうつ病になったキッカケの日。その日はごく普通に、何気なく始まった。それと決意表明。
今日という日に、私がうつ病を発症する引き金になった日の話をしようと思う。 一般的にうつ病の発症は、様々な要素の絡み合いで起きる...

元々の基本的な性格だって人それぞれ違うのに、みんながみんな、うつ病になった私を、産まれたての子鹿ハートだと、ガラスのハートだと思い込むのだ。

うつ病=「本当は心の弱い人」。

この世間に流通しているイメージの、なんと強いことよ。

でも、うつ病=心の弱い人、とは限らない。うつ病は多種多様な要因が絡み合って発症する、脳の病気だ。原因はいろいろあれど、それによって脳に機能障害が起き、心身ともに様々な弊害が出る。

脳が故障するため、心もうまくコントロール出来なくなる。この心の不具合ばかりがクローズアップされるけど、身体的な不具合も起こる、れっきとした病気だ。もう、バッチリ病気。このうえなく病気。それに、こじらせると死ぬ危険のある、デンジャラスな病気だ。

ところが残念ながら、そんな認識は世間には流通しておらず、うつ病患者さんは、「心の弱い人」というレッテルを貼られてしまうのだ。

私に限らず、うつ病患者さんが病気を周囲に公開すると、だいたいが「傷つきやすくナイーブな人」と思われてしまいがちだ。元来の性格が明るい人だと「(そう見えて)本当は、傷つきやすくナイーブな人」と思われがち。身近にうつ病患者さんがいる人や、精神医療関係者以外には、全くもって、きちんと理解されない。

うつ病=心の弱い人……これって、とてもアバウトなイメージだけど、皆さん、揃いも揃ってそう思っているので、当事者としては、けっこう驚く。

これが、どのくらいアバウトかを例えて言うなら、黒人男性はリズム感がよくてダンサブル、とか、オネェの人達は聞き上手で恋愛アドバイス上手、とか、太っちょのアメリカ人はピザとコーラが好き、とか、オオカミは悪者、くらいのザックリとしたくくりで、「うつ病になる人は繊細で心が弱い」というイメージを持たれてしまう感じだ。

こんなにアバウトなのに、世間の人は皆「うつ病の人は心が弱い」と、そう思い込んでいる。

なので病状が回復し、私の元々の基本性質である「調子が良く、ふざけている」状態で過ごせるようになったら、それは世間の皆さんの持つ、うつ病患者さんのイメージ、「傷つきやすくナイーブ」にそぐわないので、今度は「無理して明るく振舞っている、健気な(本当は)心の弱い人」として受け止められ、さらなる腫れ物扱いをされるようになった。

私はもう、すっかり説明がめんどうくさくなり、家族と親友以外の人に会うのを保留するようになった。

認知行動療法を受けているF先生にも、それでいいか聞いてみたら、「自分が大切だと思う人には、時期が来たら、追々説明していけばいいんじゃないですか?」と言われたので、今は安心して人と会わないで過ごしている。

そのように、とかく人は他人をカテゴライズしたがり、ジャンル分けしたがる。この行為は、偏見からではなく、習性のようなものだと思う。たぶん、そうしたほうが納得できるからだろう。分類出来ないものが心の中にあるのは、とても気持ちが悪いので、自分の中でラベルを貼り、片付ける習性があるのだろう、と私は考えている。

そして人は、他人に貼ったラベルは、よっぽどのことがないと剥がさない、のだ。

でもラベルを貼られて一方的に片付けられるコチラ側としては、カテゴライズして決めつけられるのは、とても違和感があり、居心地が悪い。

世間の皆さんの決めつけにより、「うつ病=心の弱い人=自分」なのでは? と錯覚しそうになったりもする。

そう、コレ↑である!!!

コレが問題なのだ。

→世間の認識を、自分で自分にインストールしてしまうこと。

うつ病への誤認が吹き荒れる状況の中、うつ病患者さんが一番、やってはいけないのは、世間の皆さんと一緒になって、自分自身を「うつ病」というカテゴリに放り込んでしまうことだと思う。

自分を「そういう人」として認識してしまうと、自分自身が自分の自由を奪い、様々な楽しみや、新しいチャレンジを足止めしてしまうことになる。

同じうつ病だって、元の性格が違えば、性質の違う病人になるし、まったく人それぞれだ。うつ病患者さんは、世間の人が思う、「うつ病の人のイメージ」に振り回される必要なんか全然ないし、そこに当てはまらないからと言って、自分を責める必要もない。

病人らしく、なんて、してなくたって大丈夫。病気は現在進行中の、抱えてる案件のひとつなだけで、病気が人生のすべてじゃない。病人であろうと、自由に好きなことをしていいのだ。

本当に、自由に生きて大丈夫。

誰かに「うつ病」というラベルを貼られても、そんなの、どっちでもよくって、大事なのは自分自身が「自分は、自分〜」って思うことだと思う。

病気は病気、自分は、自分。

うつ病でも、大笑いして生きてたって全然問題ないのだ。