ある日、あなたの家族がうつ病になったら――。
あなたのパートナーや、親、子供、大切な家族がうつ病になったら、その時あなたは、平然としていられるだろうか。
――例えば、、、もし、あなたの奥さんがうつ病になり、どんどん壊れていくとしたら。
あなたの奥さんは、いつも元気で、働き者。家事も一生懸命で、時々失敗もするけど笑顔の絶えない、明るく楽しい人。
ところが、ある日、奥さんがこう言い出した。
「私、この頃、なんか調子悪いんだよね。病院で診てもらったけど、どこも異常が無いって言うし。疲れてるのかな」
それ以降、奥さんは、家ではぐったりしていることが多くなった。
勤め先でもミスが続いているらしく、家に帰ってくるとそのことでふさぎ込んでいる。体調の悪さも続いているようで、家事も以前のようにテキパキこなせていない。ランドリーボックスには洗濯物が溢れているし、部屋の隅にはホコリが積もっている。
あなたの奥さんは、あんなにキレイ好きだったのに、今は自分自身の身だしなみにすら手が回らないようだ。お風呂に入ることすら、嫌がるようになった。
いつも笑顔の人だったのに、うつむき、沈んだ顔をしている。なんでもないことで急に泣き出し、取り乱す。
口を開けば、
「怖い」「不安」「消えたい」
と、以前の性格からは考えられないことを言い出す。そしてまた泣く。あなたは途方にくれる。
奥さんはボーッとしていることが多くなり、不安や恐怖以外の感情が無くなってしまったように見える。以前のような楽しい会話はおろか、普通の会話にも違和感を感じる。
あなたの奥さんは、中身だけ、まるで別人のようになってしまった。
そしてある日、
「もうこれ以上、仕事に行けない。家から出たくない」
と言い出した。あなたは考える。
ーーもしかしてこれが、うつ病っていうやつか。
あなたの持っている、うつ病の知識は「心の風邪」「心療内科」「薬物治療で治る」くらいだ。あなたはとりあえず最寄りのメンタルクリニックを探し、奥さんに明日、診察に行くよう勧める。
翌日あなたが仕事から帰ってくると、相変わらずふさぎ込んだ顔の奥さんが、メンタルクリニックに行ってきたことを告げる。
「私、うつ病だって。仕事はしばらく休むように言われた」
「治療は?」
「薬を飲むだけ。次の診察は2週間後だって」
あなたは一安心し、しばらく薬を飲めば、体調もよくなり、また元の奥さんに戻るだろう、と考える。
でも、あなたはまだ知らない。
これで終わりではなく、ここから悪夢のような日々が始まることを。
大切な人がどんどん壊れていくのを、当たり前の日常生活が壊れていくのを目の当たりにしながら、なすすべもなく、悪夢に巻き込まれていくことを。
……と、うつ病の始まりって、だいたいこんな感じだと思う。
うつ病患者さん本人も辛いが、家族も途方もなく辛い。大切な家族が、どんどん別人のようになり、脳の機能障害で感情が麻痺し、思考力も低下していくのだ。
家族が「壊れていく」のに、何をしてやることも出来ず、死なせないように見守ることしか出来ないのだ。声をかけて慰めたくても、患者さん本人は思考力が低下して、なんでも不安に捻じ曲げて受け取るので、うまく意思疎通が出来ない。
――すごく身勝手な言い分だが、少しずつ回復してきた今の私は、これまでの経緯を振り返り、うつ病になったのが家族じゃなくて、私が病人の側で本当に良かったと思っている。弱い意味で。
うつ病の苦しみも尋常じゃないくらい半端ないが、家族が壊れてくのを見ているだけなんて、私には耐えられないような気がする。
我が家の場合は、私の夫は気が長く、柔軟な人だったので、私の病状がみるみる悪化して、これまでの日常生活が激変しても、臨機応変に対応してくれた。その時の私の心に届かなくても、根気よく私を笑わせようとしたり、励まし続けてくれた。何も出来なくなった私をカバーし、寄り添っていてくれた。
しかし、夫の努力も虚しく、私はどんどん悪化していった。
私の病状が一番ひどかった4年前、私は1日中、不安と恐怖に怯えるだけで何も出来ず、毎晩夜になると、消えたいと泣き、泣きながら謝り、途方もない恐怖を夫に訴えた。うつ病の症状で脳の認知機能も最低レベルまで落ち、うまく考えられず、喋れないけど、私は夫に必死に訴えた。
「こ、こ、こわい、こわいよう。
ごめ、ごめん、なさい。
わ、わ、私、なんにも、
で、出来なくて、
こわい、こわいの」
夫は黙って私の話を聞き、
「まこは何にも悪くない。何も悪いことしてないのに、こんな病気になって、かわいそうに。僕が代わってやりたいよ」
と言い、睡眠薬が効いてきて私が眠るまで、隣で添い寝をして手を繋いでくれた。私は泣き疲れて、夫の手を握りしめて眠りに落ちた。
……これが毎晩繰り返されるのだ。あの頃の夫は、精神的にも物理的にも相当辛かったと思う。2〜3時間しか眠っていなかったはずだ。
でも夫は諦めず、いつも笑顔でいてくれた。当時は頭が悪くなっていたので気づかなかったけど、今考えると、あの状況で普通に振舞い、笑っていてくれていたのは、どれほどの努力が要ったことかと思う。
死の気配を色濃く漂わせる私を置いて、仕事に行く不安、心痛もあったと思う。毎日仕事から帰ってくると夫は、真っ暗な部屋の灯りを付け、部屋の隅でうずくまる私を見て、安堵の顔をした後、笑顔でこう言った。
「今日も死なずにがんばったな。えらい、えらい。1人で留守番出来て、えらかったな」
私は夫の顔を見て、おいおいと泣く。そこからまた、エンドレスな嘆きのループが始まる。
私も夫も、胸まで泥沼に浸かり、身動きも取れず何ヶ月も、ただただ、もがく日々が続いていた。未来なんて、あるのかどうかさえ分からなかった。私は私で必死だったが、夫も夫でまた、必死だったと思う。
そんなある晩のことだった。
その日、私と夫は所用で遠出することになり、用事を済ませて家に帰るため、深夜、自宅のある名古屋に向けて、高速道路を走っていた。
私はいつもの不安感で、メソメソ泣きながら、助手席の左側のウィンドウから、高速道路の外灯を目で追っていた。涙で滲んだ瞳には、背後に次々と流れていく外灯の光が、フィルターがかかったようにぼやけて見えた。キレイな光が流れていくなぁ、と泣きながらぼんやり思っていた、その時だった。
突然、耳をつん裂くような、軋るブレーキ音が足元から聞こえ、驚いて目を正面に向けると、すぐ目の前に前方を走るトラックが迫っていた。急速に近付くトラックの荷台。ブレーキが間に合わない、追突する、ぶつかるーー。
トラックの荷台が接近し、ウィンドウいっぱいに広がった瞬間、私は思わず目をギュッとつむった。
激しい金属的な破壊音。
同時に全身を襲う、強い衝撃。
次の瞬間、目を開けると、トラックはスローモーションのようにゆっくりと、右手へ回転しながら横倒しに倒れていった。積荷を派手にバラまきながら、横になったまま滑り、高速道路の片側二車線をまたいで塞いで止まった。
私達の乗った車も、散らばった積荷に突っ込むような形で止まった。
――事故。運転中の夫が、私の看病疲れによる過労と睡眠不足から、フッと一瞬眠ってしまい、前方を走るトラックに激突したのだ。
運転席の夫は私を見て、
「まこ⁉︎ 大丈夫⁉︎ ケガは⁉︎」
「び、びっくりした、す、す、すごい音、し、したー」
その時の私は、目の前のことは見えているのに、状況がまったく飲み込めなかった。
夫はガタガタするクルマを路肩に寄せ、外に降りた。すぐに発煙筒を焚いた後、前方のトラックの運転席に走って行った。横倒しになったトラックの運転席から運転手さんが、よじのぼって出てきた。夫は運転手さんの様子を確認して戻ってくると、どこかに電話している。あんまり見たことのない、難しい顔をしている。
しばらくするとサイレンが聞こえてきて、どんどん近づき音が大きくなった。交通機動隊や、パトカー、救急車が到着した。私もクルマを降りた。
トラックの運転手さんは軽症ということだったが、念のため救急車で運ばれていった。警察官が夫と話している。
――深夜の高速道路での交通事故、片道二車線通行止め。横倒しのトラック、フロントがグシャグシャに潰れた我が家のクルマ。道いっぱいに散らばった積荷、明滅する何台ものパトカーのランプ。行き交う何人もの機動隊の警察官。
そんな中でぽつんと、高速道路のど真ん中に立っている、私。
じゃり、と足の下で音がするので、足を上げてみると、サイドミラーの破片を踏みつけていた。路面にはタイヤのブレーキ痕が、クッキリ残っていた。
それはドラマや映画でしか見たことのない、不思議な光景で、事態の深刻さが理解出来ない私は、ボーッと辺りを眺めていた。
「――奥さん、奥さんにも状況をお聞きしたいんですが」
白いヘルメットを被った警察官の声に、私は我に返った。
「状況をお聞きしたいんですが」
繰り返し尋ねられ、私は答えようとした。
「あ、え、えーと、ト、トラック、え、えと、あの」
「すいません、妻は病気で」
夫が助け舟を出すと警官は、私の様子を見て精神の病気と察したようで、口調が変わり、
「あ、じゃ、お話は大丈夫だよ。危ないから、奥さんは、路肩に寄っててね」
と言った。後のやりとりは全部夫が対応し、事故処理は完了した。私達はJAFのレッカー車に乗り、潰れたクルマを引き連れて家に帰った。
家に着くと、私はホッとしてまた泣き出した。夫は居間に入ると床にペタンと座った。膝の上に拳を付いて、うなだれたまま、ぽつりと言った。
「なぁ、まこ、ごめん。もう僕は、どうしたらいいか分からないよ」
――後にも先にもそれっきりの、夫が呟いた、たったひとつの弱音。今、こうしてその時の状況を振り返って想像すると、胸が締め付けられる思いがする。
当時の夫はどれだけ苦しかっただろう。どれほど孤独だっただろう。苦しさや悲しみを共有したり、助け合ったりするパートナーは、目の前にいるのに、壊れているのだ。
その時の私は、状況を把握する理解力を持たず、夫を慰める言葉も持たず、でもいつも笑顔の夫が、悲しんでいることは感じるので、黙って、いつも夫がしてくれるように、泣きながら夫の手を握った。それしか出来なかった。
そして一夜明け――。
翌日から夫は、またいつもの夫に戻った。
「今日はトラックの運転手さんのお見舞いに行ってから、会社に行くからね。帰るまでちゃんと留守番してなよ。何にも怖いことはないからね」
そう行って、夫は出かけて行った。
全員死亡してもおかしくないほど、大きな事故だったわりには、ありがたいことにトラックの運転手さんも、おでこに絆創膏を貼る程度の切り傷だけで済み、念のため1日入院しただけで、翌朝夫がお見舞いに行った直後には退院したらしい。
私達夫婦には、幸いかすり傷ひとつなかった。破損した積み荷や壊れた車は、保険が適応されることになった。
いつも安全運転だった夫が起こした事故。その原因は、私の病気にある。どれほど寛容な人であろうと、うつ病は本人だけでなく、容赦なく周囲も巻き込み、追い詰める。当時の私達は、境界ギリギリのところで生きていて、危うくその一線を超えそうな事態にまでなってしまったのだ。
あれから4年の月日が流れ、私は気付かないほどゆっくりのペースで少しずつ、それでも徐々に回復してきた。最近は、脳の認知機能も、体感で70パーセントくらいまで復活してきた。今では夫とも不具合を感じずに会話出来るし、笑い合うことも出来る。
「私ねぇ、早く100パーセントに戻りたいよ」
「いや、今くらいでいいよ」
「なんでよ」
「まこが100パーセントに戻ると、今より言葉巧みにワガママ言うじゃん」
「言うよね〜」
私達は、ふざけ、笑い、また心を通わせて共に生きれるようになった。
今の私の回復は、夫の手助け無くしては得られないものだった。だから私は夫に、心から感謝している。
今から堂々とのろけるけど、私にとって夫は、かけがえのない大切な人だ。世間から見ると、眼鏡をかけた控えめそうな40代のおじさんに見えると思うけど、私にとっては世界一、信頼できる、優しくて、頼りがいのある素敵な夫だと、心から思っている。
最後に――。
もし、あなたの家族にうつ病患者さんがいて、家族が精神疾患になったことを受け入れられない、と思っているなら、事態はそんなこと言ってる場合じゃないかもしれない。
うつ病は、こじらせると死に至る、重篤な病だ。
本人だけでは乗り越えられない壁もある。うつ病発症は、家族の協力が全面的に必要な一大事なのだ。
予想以上に辛いこともたくさんあるけど、どうか患者さん本人と一緒に乗り越えて、あなたの大事な人を救ってほしい。
必ず、よくなる日が来るから、また一緒に笑える日が来るから、どうか、どうか諦めないで。