自称ステキ主婦、大暴落。うつ病になると、脳の認知機能の低下で、いろんなコトが出来なくなる。でも、やらないという選択もあるよ。

「久々の休日、冷たい桃のコンポートを使ったレアチーズタルトケーキを作りました♫ 我が家のレシピは甘さ控えめ。上から垂らしたクランベリーソースを、竹串でハートの模様にするのが毎回ドキドキ。白地にベリーの赤、コントラストがキレイ。フォションのアールグレイでティータイム♡」

「今日は仕事が押したので、冷蔵庫にあるものでチャチャッとごはん。お取り寄せの産直野菜は、素材の味を楽しみたいから、バーニャカウダで。新鮮パプリカ、大好き♡ ソースものにはBROWNのハンドプロセッサーが大活躍。イカと海老のパエリアには、やっぱりスペイン産の白ワインが合いますね☆」

ーー冒頭から、キラキラ臭がプンプンする、この痛々しい文章は何かというと、何を隠そう30代の頃の、私のSNSへの投稿である。痛い。痛すぎる。

以前、紹介したらわりと好評だったので、またもや別のバージョンのを掲載してみた。何度読んでも痛くてたまらないが、我が身を削っても皆さんが笑ってくださるなら、この身を捧げる所存である。

上の投稿を解説すると、一見、

「こんな料理作ったよ、っていう紹介なだけだよ?」

……という建前を見せながら、30代の私は、文字数140字をはるかに超える、言外のニュアンスまでフル活用して、さまざまなことをアピールしている。

ちなみに上の投稿には、以下の情報(下心)がサブリミナルに入っている。

「言わなくても分かっちゃうと思うけど、私がお料理上手ってこと、コレ大前提」

「私、仕事も忙しいんだけど、お料理も手を抜かない主義」

「素材にもこだわってるの、コレ分かっちゃうよね〜」

「お料理上手は、調理器具だって厳選セレクト」

「私って、お菓子や料理に合わせる紅茶とかワインもこだわって選ぶタイプ」

「冷蔵庫にあるものでパパッと料理が作れるの、出来る女ってバレちゃうよね〜」

……エトセトラ、エトセトラ。

添えてある画像も、広告稼業で培った、「料理の見栄えを最大限に引き出すコーディネート」で撮影してある。

これらをまとめると当時の私は、140文字+画像で、結局のところ、こう言いたいのだ。

「ねぇー、私ってー、ステキでしょー⁉︎」

もう、声なき叫びがビンビン伝わってくるよね。なんかもう、ヒリヒリするくらい沁みるよね。

あぁ、お恥ずかしい。でもがんばっていた日々が、笑えるけど愛おしい、30代の私。

そんなふうに、毎日せっせとセルフ・ブランディングしてアピールしてきた、

「お料理上手な、っていうか、ライフスタイルがもう、ステキ過ぎる私」

……は、突然やってきたうつ病によって、あっけなく、跡形もなく、木っ端微塵に粉砕されたのだった。

うつ病になって頭の認知機能が落ちた私は、驚くほど何にも出来なくなった。うつ病の症状のひとつ、「脳の認知機能の低下」により、考える力が最低レベルにまで落ちたのだ。

ステキなライフスタイルどころか、日常的な基本機能も怪しくなった。私は生命維持のための行動しか出来なくなり、身の回りのことすら覚つかず、恐怖と不安にまみれて、寝込んで過ごした。

感情も乏しくなり、何かに関心を持ったり、笑ったり、幸せを感じることが出来なくなった。

しかし、そのような状態でも、恐怖と不安は絶え間なく付いて回る。たぶん、恐怖や不安といった感情は、動物的本能に近いところにある感情だからだろう、と思う。

考えられないのに、恐怖と不安を感じる、という状態は、マイナスの連鎖を生む。

物事が考えられないので、以前は出来たことが出来なくなる。出来ないことに不安や恐怖を感じる。それは自己嫌悪、罪悪感をもたらす。マイナスの感情ばかりが渦巻くのに、心の中を整理することが出来ない。なぜならば、考えることが出来なくなっているからだ。そして、考えられないことは、不安と恐怖を呼び覚ます。

……もう、延々このループが繰り返され、どんどん心は奈落へと落ちてゆく。

「脳の認知機能の低下」、このうつ病の症状って、世間にはあんまり知られていない。私も自分がなるまで、というよりも、うつ病に苦しめられるようになってからも何年も、知らなかった。

長い時間をかけ、少しずつ回復してきて、少し頭が回るようになり、自分の病気のことを調べるうちに、私はひとつの結論に至った。

それは、

「うつ病は、頭が故障して、頭が悪くなってしまう病気。だからいろんなことが出来なくなるのは病気のせいで、思考力が落ちるせいで心まで不自由になる。

心が弱いとか、そんな精神論の話じゃないので、自己嫌悪に陥ったり、罪悪感を持ったりする必要なんか、全然ない」

ということだ。

うつ病になり、訳も分からず苦しんでいる人に伝えたいことは、コレ↑に尽きる。

このことを、もっと早く知っていれば、私自身こんなに長い間、苦しい思いをせずに済んだんじゃないか、と思う。

それを知るまで、私は仕事や家事が出来なくなった自分を責め、自己嫌悪し、罪悪感に苛まれる日々を送っていた。

でも、この考え方は間違っている。脳の認知機能が落ちて、病気のせいで、頭が悪くなってしまっているのだから、出来なくて当たり前なのだ。

うつ病で療養5年目を超えた頃に、「うつ病は脳の認知機能が低下する」ということを知った私は、日々の不具合が、いろいろ腑に落ちたような気がした。

ーーあぁ、そうか、私は今、病気で頭が悪くなってるのだ。

なら、いろんなことが出来なくてもしかたないじゃない。それなのに、元気な頃と同じようにやろうとするから、こんなにつまづくんだーー。

病気になる前が、脳の稼働率100パーセントとするなら、病気の今は、脳の稼働率10パーセント。10分の1くらいだ。

缶詰工場に例えていうなら、前は100人体制で1日10000個の缶詰を作っていたのに、病気で90人が出勤出来なくなった。でも、残りの10人で同じノルマの10000個を作れ、みたいな話だ。

残りの10人には、これまでより10倍の処理速度、作業効率のアップが要求される。それでは、10人もギブアップする。そんな缶詰工場は、ブラック以前に、普通に機能していく可能性がない。

そういう分かりやすい話なのに、私は、うつ病は心の風邪、みたいな、世間の風潮に流されて、心の持ちようとか、自分の努力みたいなことで、どうにかなると思い込んでいた。

ーー私、頭が悪くなってることを受け入れよう。出来ないものは出来ないんだ。

人は誰しも、自分の頭が悪くなって、いろんなことが出来ない、ということを受け入れがたいと思う。人には根本的に、自己の脳機能の低下なんてことは生理的に嫌悪する傾向があるように思う。

でも、うつ病で頭が悪くなっても、故障しただけなので、きっと治るのだ。

だから私は、うつ病患者さんには、頭の故障、頭が悪くなったことを、一旦受け入れることをオススメする。そうすれば、いろんなことが仕方がない、と思えるからだ。仕方ないと思えたぶんだけ、諦めたぶんだけ、自己嫌悪や罪悪感から離れることが出来ると思う。

仕方がない、仕方がないのだ。

時には「前向きな諦め」も必要だ。

料理に限らず、なんでも、出来ない、出来ない、と自分を責め続けるだけで、状況が改善できないのなら、今はやらない、と諦めてしまったほうが、精神的にも居心地がいい。

ーーよし、私もう、積極的に諦めよう。

ずっと長い間、家事はおろか料理も作れないことに罪悪感を感じ続け、自己嫌悪を感じ続けてきた私は、ある程度考えがまとまったので、夫に言った。

「私、病気で頭が悪くなっちゃってるんだよ。だから、いろいろ出来なくなってるみたい。

もう、出来るようになるまで、家事とか料理、止めていい? ……っていうか、これまでも出来てなかったけど、これからは出来ないんじゃなくて、もう自分のほうからやらない、って感じでいい?」

私の話を聞いた夫は言った。

「僕は、まこに、今までも、1回でもコレやれよ、なんて言ったことはなくない?」

「うん、ない」

「ずーっと出来なくてもいいよ、頭が悪くても、まこがまこであることに変わりはないよ。まこは病気なんだから、僕がなんとかするから。もし、ずーっとそのままでも構わないよ」

「ありがとう。じゃ、お言葉に甘えて、これからは、出来ること以外やらない」

「それでいいよ。早く良くなるなら、そっちのほうがいいよな」

そんなわけで私は、「専業うつ」という立場を手に入れた。家事や料理など、とんとやらない純粋な病人として、療養に専念するだけの日々になったのだ。

この「出来るまでやらない」宣言は、結果的に、予想以上に、私の心を格段に浮上させた。

なにしろ、初期設定がゼロなので、出来なくて当たり前。なんかちょっとでも出来たら、大層褒められ、家族からありがたがられる、というシステムである。心にストレッサーがなくなったので、うつ病の病状も、この宣言以降、かなり回復してきたように思う。

そんな我が家の現在の家事事情は、おおむね夫担当で、調子のよい時にほんのちょっとだけ、私が参加する仕組みだ。

食事は、基本的に外食か、時々お弁当。それについて、何度か夫のご機嫌をリサーチしたが、夫は全然気にかけない様子で、

「寝込んで動けなかった時から考えると、ちゃんと一緒にごはん食べれてるし、なんとか暮らせてるから、いいんじゃない?」

と言うので、ありがたく甘えている。

以前は「男子厨房に入らず」だった夫は、私がダメになってから、少しずつ料理を覚え、時々簡単なものなら手料理を作ってくれるようになった。

先日は休日に、私のリクエストでホワイトシチューを作ってもらった。久々のウチごはんがうれしい。

「すごくおいしい、ありがとう」

「どういたしまして」

私はスプーンを握りしめ、夫の優しさと、シチューの両方をしみじみと噛み締めた。

ーー本当にありがたい。今はまだ、当分無理そうだけど、いつかまた、料理が出来るようになったら、この人のために、手間ひまかけて料理を作ろう。メインディッシュは何にしよう、デザートも作ろう、テーブルもちゃんとセッティングして、季節のお花やキャンドルなんか飾ったりして……。

そんなことが出来るようになった折には、冒頭のようなSNSへの投稿は、もうしないかな。病を経て、人間的に成長して、煩悩もなくなって、サラリと2人だけの楽しみに出来るかしら。

……。

イヤー、無理だな。

やっぱり私、SNSに書いちゃうわ。

もう間違いなく、書くわ。

ーーなかなか人間的な成長というのは、難しいものである。