今日は、「なんでも白黒つければいいってもんじゃない、特にあなたがうつ病なら、ね」ということについて書く。
うつ病になる以前の私は、広告業界方面で、個人事務所を立ち上げ、フリーランスで広告のプランナーをしていた。
馴染みのない人に、広告プランナーがどんな仕事か説明すると、広告を出す企業やお店の側に立って、どうしたらお客さんに来てもらって、さらにそこでお金を使ってもらえるのかを考える仕事だ。
市場をリサーチし、作戦を立て、シナリオを練り、どんな方法で広告するのかを考え、必要に応じて広告を作る。キャンペーンを企画し、チラシやパンフレット、雑誌広告、ホームページを作る。広告経費を見直し、不必要なモノを削り、必要なところには投資する。これらをコンサルティング、プロデュースすることが、私の仕事だった。
例えば、とあるリゾートホテル、季節は春。平日の来館者数が少ないという課題。来館者が少ない、イコール売り上げも少ないということになる。
じゃ、どうする? それなら平日昼間から来館可能な女性、専業主婦のための宿泊プランを作ろう。それも泊まりに来やすい、子供の手も少し離れた30代半ば〜40代くらいの主婦の、仲良し友達同士に泊まりに来てもらえるような企画を立てよう。
春なのでホテルのラウンジでは、イチゴを使ったフェアも開催されている。それなら、イチゴブッフェも宿泊プランにくっつけて、ネーミングは、例えば……「女性限定!ストロベリー満載♡女子友おしゃべりナイトプラン」。客室も、シーツやクッション、小物を一部赤いものに変更、トータルで雰囲気を出そう。
広告はどこに出す? 30代40代向けの女性ファッション誌、タウン誌。ネットのほうは、ホームページにキャンペーンページを作って、バナー広告も配置。ホテルの広報部、SNSの担当者さんには、定期的に世間話みたいな感じで宿泊プラン絡みの投稿をしてもらう。
さぁ、準備は整った。後は予約受付開始日を待つのみ。細工は流々、仕上げはごろうじろ。集客の結果は如何に……⁉︎
かくして当日、予約は満員御礼。予約客室数はすべてソールドアウト、キャンセル待ち数十組。売り上げ目標を軽くオーバーして、次のキャンペーン待望の声が聞こえる。キャンペーンは大成功。次のオファーの打診が来る……
ーーと、こんな感じ。
言ってみれば、スポンサー付きのギャンブラーみたいなものだ。スポンサーのお金を自分でコントロールして配置し、知恵を絞り、集客数というハッキリした結果が出るギャンブルをするのだ。投資した広告費で、スポンサーの望む成果、期待を超える結果を出さなくてはならない。成果が出せた時、私はそこから自分の取り分を得る。
フリーランスなので、失敗したら次のオファーは無い。私はそうやって、自分の未来を賭けたギャンブル・ライフを送っていた。スリリングではあるけど、仕事は面白く、やりがいがあった。
ーー仕事が楽しすぎて、夢中になり過ぎて、それがうつ病の遠因になったのかも、という考察もあるけど、今日の話題とは別なので、それはまたの機会にーー。
ともあれ、必ず成功という結果を出すことが重要、という仕事を続けるうちに、私は知らない間に、たぶんこの業界の人にはありがちな、職業病的な思考がインストールされてしまっていた。
それは、
「結果が全てであり、過程は重要じゃない」
という、成功か否か、良いか悪いか、0か100か、白か黒かの二極思考だ。
例えば上のホテルの話で言えば、どんなに用意周到に時間と費用をかけて準備しても、人が集まらないことには、なんの意味もない。「でも、がんばったんだよ」とかは、全然、意味がない。
結果がすべて。
白か、黒か。
0か、100か。
オール・オア・ナッシング。
デッド・オア・ライブ。
私は職業柄、その思考に至ってしまったと思っているが、広告業界に限らずとも、そういう両極端な考え方をする人は、世の中に意外と多い。
私自身も、二極思考であっても、健康なうちは別に不都合を感じなかった。でも、うつ病になった時、この身体に染み込んだ二極思考のせいで、私はかなり苦しむことになった。
白か黒しかない世界を自分で設定してしまうと、それは、うつ病患者さんにとってかなり厳しい。
二極思考は、成功だけが良し、とされるので、極端な例だと、99パーセントまではダメとしてしまう。四捨五入ならぬ、九九捨百入だ。
さらに、二極思考で物事を考えるということは、自分に厳しいということでもある。
自己評価も、目標値に満たなければ、がんばった自分を評価できない。がんばってもがんばっても、自分の想定する水準に来なければ、それは黒であり、0なのだ。
でも、うつ病はぜーんぜん、がんばれない病気だ。本人のヤル気は関係なく、脳に機能障害が起きている状態なので、身体的にがんばれないのだ。
さらにうつ病は、頭が回らないのに、恐怖や不安だけはしっかり感じることのできる、やっかいな病気でもある。
このような病気になってしまった時、健康な時は問題のなかった白黒の二極思考は、大きくマイナスに働いてしまう。
だって、うつ病になったら、その時点で100点を取るのはもう、絶対無理なんだもの。
100点を取れなければ、認めないーー。
これを自分に課していると、うつ病は乗り切れない。かなり困難な闘病をしなくちゃいけなくなるので、二極思考じゃない人と比べると、超ハードモードなイバラの道を歩くハメになるのだ。
私は、完全なる二極思考だったので、うつ病の最初の数年は、訳も分からずハードモードだった。でも、イバラの道を傷つきながら歩くうち、人生は仕事じゃない、成功がすべてじゃない、ゆっくりや、のんびり、失敗もミスも、20点や30点があってもよし、ということを、徐々に体感していった。
修行して会得した、みたいに、私の努力によって二極思考が解除されたわけではない。他にどうしようも出来ないので体感せざるを得なかったのだ。それでも私は、二極思考を修正するまでに5年くらいかかってしまった。修正してからやっと、二極思考が療養を妨害していたことに気付いた。気付いたので、気付いてない二極思考のうつ病患者さんがいたら、ひとくちアドバイス差し上げたくて、この記事を書いている。
もし、あなたがうつ病で、白か黒か、0か100かの二極思考を持っているなら、それは意識して、繰り返し繰り返し、その考え方は違う、と自分に言い聞かせて、全速力で捨てたほうがいい。一刻も早く手放して、ちょっとでも今の自分を認めてあげたほうがいい。うつ病に二極思考は、食べるとシビレる毒キノコぐらい、持ってなくていいものなので、すぐにポイ。
人生はオセロやチェスじゃないし、私自身の反省からも、白か黒かの両極端に走るのは、うつ病の回復において、妨害することはあっても、何もいいことはない、と断言できる。
二極思考で考えると、そもそも人生なんて、やっていられない。
結果がどうだったかなんて、最期の最期にならなければ分からないし、結果が分かった時は、もう寿命でおしまい。
結果よりも、過程を楽しんでこそが人生、なのだ。
そんな私は、今は0点が初期値。初期設定が低いので、自分のちょっとしたがんばりも評価できるようになった。白か黒かだけじゃない、グレーを認めたり、選択できるようになったら、イバラの道もずいぶん歩きやすくなった。
まだうつ病の終わりはいつ来るのか分からないけど、余分な思考の武装は捨てて、なるべくなら歩きやすい、身軽な装備で歩いて行こう、と思う。
なんでも白黒付けない。
グレーで良し。
私の人生に、白黒はパンダとシマウマだけでいいのだ。