うつ病で死なないために、余計な邪魔を気にしないで。あなたの回復を止める権利は誰にもないのだから。

うつ病のどん底から、はるか遠くにトンネルの出口が見えてきたような気がする、今日この頃の私。

どん底期の次のステージには、予想もしなかった新たな壁が立っていた。少しずつ回復の兆しが見えつつ、出口まではまだ遠いという、回復途上の今だからこそ感じる、この新たな壁について、今日は考えてみる。

うつ病患者である私は、人生も不安定な波乗りライフだが、趣味もネットサーフィンである。

体調の良い日6割、良くない日4割を平均して、目が覚めている時間のうち、起き上がっている時間50%、横になっている時間50%という割合で暮らしているので、ネットサーフィンは、私に欠かせない娯楽である。

つい先日も、気の向くまま、ネットの海を漂っていたら、Q&Aサイトで、「はぁーーーー?」と言いたくなるような、二度見してしまうような質問を発見した。驚いたので、以下にその内容を、思い出しリライトしてみる。

(プライバシーと著作権保護に気を使って、本筋は変えずに適当に改変)

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Q. 私はうつ病を患っている30代既婚女性です。SNSで同じうつ病の女性、A子と知り合いました。A子も30代既婚でどちらも子供がおらず専業主婦、家庭環境、経済状況が似ていることから話も合い、個人的にやりとりするようになりました。

お互い、うつ病の苦しみを慰め合い、励ましあってきたのですが、近ごろ、A子の具合が良くなってきたせいか、彼女の言動に腹が立ちます。

A子は友人も多く、調子のいい日は友達に誘われて、時々カフェに行ったり、遊びに出かけたりしているようです。

ご主人も理解のある人らしく、今度夫婦で日帰り旅行に行くそうです。A子は外出のリハビリなの、と言っていましたが、楽しみだ、とも言っていたので、遊びには行けるんだね、とつい皮肉を言ってしまいましたが、通じていないみたいでした。

それなのに、家事が出来ない、外食やお弁当ばかりでどうしよう、と悩んだようなことを言う彼女に、とても腹が立ちます。

私はうつ病で友人関係もすべて失いましたし、夫も協力的ではありません。日々病気を抱えながら、苦しい時間を過ごしています。同じうつ病なのに、好きなことだけして楽しんで、苦しんでいないA子が許せません。皆さん、どう思いますか?

【ベストアンサー】

A子さんは、うつ病を言い訳にしているだけです。あなたから縁を切ってもよいのでは?

【質問者からの補足】

ですよね、、、。ありがとうございます。これを機にA子とは縁を切ろうと思います。
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読んだ私は唖然とした。

えぇーーーーーーーー???

なんじゃーーーーそりゃーーーー。

ですよね、、、。じゃないわYO!

どこをどう読んでも、A子さんは順調に回復してるだけなのに、何で怒って縁を切る必要があるのYO!

うつ病患者さんは、うなだれて、しんどいばっかりの時間を過ごさねばならんと、誰が決めたのYO!

うつ病にかかると、脳の認知機能が低下して、思考能力が落ちる。身体症状も出る。生命力はゼロになる。

うつ病患者さんのリスタートは、限りなくゼロに近いところからの出発だ。

いろんなことがうつ病によってリセットされてしまうので、すべての物事に対するハードルが高くなる。病気になる前には簡単にできていた、日常生活の些細なことも難しい。既に経験したことでも、病気を患ってからは半分未知の体験であるため、スムーズにこなせなくなってしまうのだ。

うつ病は、重症になればなるほど、まるで幼児になったように経験値が消え、認知症になっていく過程のように、脳の認知機能が落ちてしまう。(←私の体感による意見)

幼稚園児に、または認知症のおばあさんに、いきなりフルタイム週5日残業アリ休日出勤もよろしく、なんて仕事をさせるのは到底無理だ。家事を完ペキにこなすことを求めるのも無理な相談。

それは誰にでも分かることなのに、うつ病患者さんが回復の途上にいる段階で、出来ることから取り組み始めた時、世間は揃って、うつ病患者さんを責めはじめる。「好きなことは出来て、仕事は出来ないのか」とか、「遊べるくせに」だとか責められて、なんかもう、全く許されない。

でも、全うつ病患者さんに告ぐけど、世間が許そうが許すまいが、心が凍結していた状態から、何かを楽しめる気持ちになったという、その小さな、でも大切な心の中の炎を消してはいけない。

感情を失ったうつ病患者さんが、興味を持ったことにトライすることから始めて、段階を経て、少しずつ社会復帰への道を歩いていくことは、この先にも影響する、重要な行程なのだ。二段跳びで階段を上がらず、時間はかかっても着実に一段ずつ登っていくやり方が、結局は一番手堅い。

うつ病患者さんは、社会復帰の前に、まず、普通の感情や感覚を持った、1人の人間として復帰しなくちゃならないのだ。

だから上のQ&Aに出てくる、A子さんのやり方は正しい、と私は思う。A子さんは、順調なステップを踏んで、回復に向けて動いている。

うつ病とは、苦しみ辛いもの、だからそうじゃないA子はおかしい、と思っている質問者さんのほうが、どう考えてもデンジャラスで心配。自分もうつ病患者さんなのに、回復してきたうつ病の人を、世間の側に回って責めるなんて。うつ病患者さん同士で足を引っ張って、どうするのさ、である。

A子さんに怒りを向けるのではなく、自分もできそうなことから、まずひとつずつ、やってみたらいいのに。もし、自分は全然そこまで行動出来ないくらいの病状なら、A子さんの回復を励みにしたり、何をしてるのか聞いて、参考にするだけでもいい。せめて、A子さんを妬むことだけは、ぜーーーーーーったい止めたほうがいい。それは確実に、うつ病を悪化させると思われる。

質問が締め切られているので、もうアドバイスは出来ないが、質問者さんが選んだベストアンサー以外の回答を見ると、質問者さんは結局、返信の内容なんかどっちでもよくて、ただA子さんの悪口を言って、自分の味方をしてくれる意見が欲しかっただけなんだなぁ、と残念に、悲しく思う。

なぜなら、この回答で質問者さんが一時は満足できたとしても、質問者さん自身の回復には、何ひとつ繋がらないからだ。A子憎し、とネット上で「うつ病=言い訳」なんて共有したって、うつ病の当事者である質問者さんは、何ひとつ救われることはないのだ。

A子さんへの攻撃は、回復した未来の自分への呪いとなってしまうのに。

大きなお世話かもしれないが、この質問者さんのこれからを思うと、とても切ない。たった1人の友達を自分から切っちゃうのか、それはきっと今より辛いよなぁ、と、やりきれないような気持ちで、私はページを閉じた。

このQ&Aもそうだが、インターネットから世間を覗いた時、近頃の私は、ある現象がすごーく気になっている。

それは、うつ病への「偏見」から来る、うつ病患者さんへの「責め」が、当然のことのように存在する、ということだ。

これは、正義のような顔をして、回復しかけたうつ病患者さんの前に立ちはだかってくるので、相当やっかいな壁、余計な邪魔だと思う。

他の病気、例えばガンとか、内臓疾患の患者さんが精一杯生きようと、笑って過ごしていると、周りからは「健気」「いじらしい」「一生懸命」と思われる。

でも、うつ病患者さんが精一杯生きようと、笑って過ごしていると、「元気そうじゃん」「怠けてるんじゃないの?」「遊べるくせに」だのと言われるのだ。

回復への過程を、なぜか「責められる」のだ。

これはとても危険な誤認と偏見だと思う。

うつ病は世間の皆さんが思っているより、数段ヤバイ病気だ。死に至る病だ。

もしかすると、その笑ってるうつ病患者さんは、余命数日かも、ひょっとすると余命数時間かもしれない。笑って別れたすぐ後に、どこかから飛び降りてしまう可能性だってあるのだ。

うつ病患者さんが苦しんで苦しんで、やっと心の中に芽生えた関心事に、そっと手を伸ばしつつ、心の中の罪悪感とせめぎ合いながら、迷いながら、ドキドキして何かにチャレンジしているところを「責める」なんて、これほど残酷なことはない。

これは、例えて言うなら、足を複雑骨折して、ようやくつかまって歩けるようになったリハビリ中の人を、蹴倒して怪我した足をドスドス踏み付ける、くらいの行為に等しい。

それでもって、うつ病患者さんというのは、だいたいが罪悪感を持っているので、「責め」に対して、とても弱く、脆い。責められると「やっぱり、私、ダメなんだ……」なんて思ってしまう。

回復期のうつ病患者さんを「責める」という行為は、もしかすると命にかかわるくらいの痛恨の一撃なのだ。

ところが世間にはビックリするほど、うつ病患者さんに対しての「偏見」から来る「責め」が蔓延している。

なぜかーー。

それは、今もなお、うつ病が世間の皆さんに、正しく理解されていないからだ。

理解度が低いので、世間は世間の基準値に合わせて、うつ病患者さんを断罪し、正義の顔で、うつ病患者さんを責めるのだ。時に、うつ病患者さん自身も、その間違った認識で自分を責めていることさえある。

10年ほど前に比べて、うつ病に関する情報は増えてきたものの、まだまだ社会には、うつ病に関する認識が浸透していない。

うつ病患者さんの生態も、何に苦しみ、何と戦っているのか、驚くほど全然、知られていない。

偏見さえ無くなれば、無駄に責められることも無くなり、うつ病をこじらせずに、生き延びることが出来る命も、もっともっと増えるはずだと思う。

その理解を助ける活動に、ちょっとでも加担したくて、私はこのブログを綴っている。私1人の力など、あんまり役に立たないかもしれないが、私の尊敬する、アンパンマンの作者のやなせたかしさんが、「海に一滴の淡水を注ぐようなことでも、百人いれば百滴になる」と言っているので、私も一滴の水を注ぐのだ。

もう一度、全うつ病患者さんに告ぐけど、誰かに「好きなことは出来るくせに」と、責めるようなことを言われても、罪悪感を持ったりしないで。好きなことに興味を持てるということは、あなたが良くなるために必要不可欠な、心の回復の証拠なのだから。

さて、そう熱弁する私は、去年ようやく自殺願望と罪悪感を手放せて、あと余命50年以上はあるのでノープロブレム。でも日々の体調に波があり、通院と服薬が欠かせない、アップダウンうつ病ライフを続行中だ。

療養中の現在も、世間の皆さんから見ると、働きもせず、家事もせず、調子が良ければ時々遊んでいる状態なので、とても生意気に見えるかもしれない。

でも本当に働きもせず、家事もせず、ただ時々遊んでいるだけなので、そう思われてもしかたがない。その通りなので、そうなんですよねぇー、困ったものですよねぇー、となるべく恐縮、って感じの、申し訳なさそうな空気を出しつつ答えるしかない。

でも私は、6年間うつ病とすったもんだした結果、やっと最近、これが一番、私にとって回復への近道なのだと分かった。自分の健康を取り戻すことが先決なので、人の言葉と人の目はあんまり気にしないようにしている。

と言っても、私は理解してくれる家族と、友人の横水さん以外の人には滅多に会わないし、人の目に触れるほど活動していないので、人の目なんて気にしなーい! といばったところで、誰にも影響がないのが、のれんに腕押し的な、多勢に無勢的な、焼け石に水的な感じで、若干、残念な感じ。

そんなふうにのんびり、ゆっくり、時々遊んで暮らしています、なんて言うと、「働かずに、遊んでばかりか」という、攻撃的意見もあるかもしれないので、先回りして私のケースをお答えしておくと、

仕事に関しては私は、半生を捧げてきたと言ってもいいくらい、自分のやってきた広告の仕事が大好きだ。お勤めしていたのではなく、自分で個人事務所を立ち上げて、自分で仕事を切り盛りしていた。

今は一旦休憩しているけど、私にとって仕事は、どっちかというと好んでやりたいものであり、何より面白い、エキサイティングな「遊び」だった。なので今の私は、仕事もしてみたいけど、ドクターストップがかかっているので、別の遊びをして過ごしている、という、おあずけ状態なのだ。

私と事情は違っても、うつ病で働いてない人が、みんながみんな、働きたくないわけではないのだ。むしろ、出来るなら自分に合った職場で、天職を見つけて、キビキビ働きたい、という人も多いと思う。働けなくなってしまった分、余計にそう感じている人も多いと思う。

だから、もし健康な皆さんがこれを読んでくれていて、身近にうつ病患者さんがいるとしたら、「働かずに、遊んでばかりか」なんて正義感たっぷり風味で、うつ病患者さんの回復の芽を踏みにじるようなことを、お願いだから言わないで。その一言が、あっさり病状を後退、悪化させてしまうかもしれないのだから。

私自身も内心、仕事も家事も、自分の思う通りにやれたらステキだなー、と憧れるけど、今のところ自分が興味を持った、ささやかなことしか出来ないし、やってない。

でも、無理をすると病状が悪化するかもしれないので、それは何より恐ろしいし、そうなっても誰も変わってはくれない。誰になんと言われようと、誰にも遠慮することなく、これ以上は無理せず、あとは神頼みでGO、である。

ーーオーマイゴッド、神様どうか、、、

いつか、何でもシャキシャキできるような、ちゃんとした大人になれますようにー(←40代)。

でも、まぁ、しかたがないよね。

うつ病って重病だもの。ちゃんとした大人になるより、健康になるのが先。ちゃんとした大人になろうと焦って無理して、死んだら損。ゆるゆる心をガードしながら生きて、早く治すのが先。

だから、のんびり生きましょう。死なないために。

回復途上なら、好きなことをしてても大丈夫。あなたの回復を止める権利は、誰にも無いよ。