うつ病で休養中の方へ。治療に欠かせない、でも手に入れにくい「質の良い休養」について考える。

「ーー今は、すべてを忘れて、おやすみ。
起きたら好きなことだけしていいよ」

もし、「うつ病で休養中」のためのキャッチコピーを付けるなら、今の私なら、コレ↑にする。

うつ病の治療には、通院服薬と、

「質の良い休養」が欠かせない。

うつ病を治すためには、ただの休養ではダメなのである。「質の良い休養」でなくてはならないのだ。「質の良い」というところが、すごーく重要なのだ。

今日は、その「質の良い休養」について考えたことを書く。

重症のうつ病を発症して、6年近く療養を続けてきた私は、ここ3年ほどずっと、2週間に1回、治りたい一心でマジメに通院し、処方された薬は用量用法を守って服用している。それなのに、なかなかシャキッと良くならないのだ。去年までの私は、うつ病の迷路の行き止まりに突き当り、途方にくれる日々を過ごしていた。

診察では、主治医のK先生とコミュニケーションもちゃんと取れている。薬も体に合っていて、ひどい落ち込みも、副作用も無くなってきた。物理的なことは、手を尽くしてある状態だ。

…じゃ、なに? なんで良くならないの? 何か、私の出来てないことが、私の浮上を阻んでいるのだ。それは一体、何?

行き詰まった私は、考えに考えた末、この問題のカギは、うつ病関連のサイトや本で良く見かける、「質の良い休養を取りましょう」の、「質の良い休養」にあるとにらんだ。

コレだ。たぶん私はこの「質の良い休養」ってヤツが出来ていないのだ。やり方が分からないせいで、「質の良くない休養」を過ごしてしまっているのだ。

そこで私はうつ病治療に不可欠な「質の良い休養」とは、どんなものなのか、調べることにした。

「質の良い休養」という言い方は、とてもざっくりした、ふんわりした表現である。質の良い=上質な、良質な、クオリティの高い? と言い換えてみてもよく分からない。「質の良い休養」って何YO? 具体的にどんなふうにすればいいのYO⁉︎

私はまたもやアレコレとネットやうつ病関連本をサーチしまくった結果、「質の良い休養」というものが、だいたい以下のような感じであると把握した。

「質の良い休養」とは、

「休んでいるという罪悪感を手放し、自分を責めることなく、ただ休むことに専念するという休養」

のことらしい。

そしてさらに、

「休養しながらも、何かに関心が持てるようになったら、興味のあることには少しずつトライしてみる、というようなこともしていい休養」

のことでもあるらしい。

言われてみれば、ストレスだらけのまま休んでいても、心は休まらない。

さらにうつ病は、脳の認知機能が落ち、興味を持つという感情を喪失してしまうので、休養の中で、無理しない程度に好きなことに取り組むということは、回復のための重要なプロセスだ。

「ストレスを感じずに過ごし、気の向いたことはやってみてもいい、そんな休養。」

なるほど、「質の良い休養」とは、健康な皆さんがやっている「贅沢な休日」みたいな休養のことである。

ふーん。

ーーって、コレ、うつ病患者には難しすぎるじゃん!

健康な皆さんでさえ、上手な休養を取れているかと問われたら、そうでない人も多いと思われる、昨今の世の中だ。

それなのに、うつ病を抱えた上で、「質の高い休養」をやらねばならないのだ。

でも、これが出来ないと、うつ病は治らないらしいんである。

例えて言うなら、車にガソリンを入れにガソリンスタンドに行きたいけど、ガソリンスタンドまで走るガソリンが無いんですけど的な、

余裕が無いのに、余裕を持って過ごせって言われても無理、みたいな、

どうすりゃいいのよ感のある、「うつ病&質の良い休養」である。

私の回復のために必要な「質の良い休養」は、かなり手に入れるのが困難なものだ。そのうえ、診察は先生と一緒に、薬は薬局から、と受け身でいいのに、「質の高い休養」は、自分1人でやらなくちゃいけないんである。

その難しさときたら、ちょっと、もう。

まず、うつ病になるともれなく付いてくる罪悪感を手放すのが、かなりやっかいだ。この罪悪感というヤツが、「質の高い休養」を阻むのだ。

罪悪感を感じたまま、休むというのは不完全である。横になって体は休めたとしても、脳や心が休まらないから、それではうつ病の休養には充分じゃないのだ。

また、罪悪感を感じながら興味を持ったことにトライするというのは、「休んでいるのに、好きなことだけやっている」という構図になり、さらに罪悪感を加速させる状態になる。

そしてそれを時々、心ない人が「好きなことが出来るんなら、他のことも出来るんじゃないの?」なんて、訳知り顔で爆撃してくるので、ますます罪悪感に打ちのめされ、せっかくの回復の芽が摘み取られてしまうのだ。

日本で生まれて平均的に生きてくると、知らないうちに、これまで暮らしてきた社会の既成概念がインストールされ、自分も周りの人も、それらに縛られてしまっている。

そんな中、働きもしないで「質の高い休養」を手に入れることは、かなりの吹っ切りや諦めが必要だ。うつ病は、本当は重い怖い病気なのに、「心の風邪」という、大変ライトな社会認識のせいで、うつ病患者さん自身も、自分が怠けていると思い込み、自分を責めてしまう。怠けてるんじゃなくて、病気なのに。

「質の良い休養」をするためには、自分の中に根付く「既成概念の破壊」という、難易度の高いイメージトレーニングも必要なのだ。

でも、大変だけど、「罪悪感」と「不要な既成概念」の放棄は、挑戦すべき価値がある。私は言い切っちゃうけど、これが出来るようになれば絶対、回復に近づくことが出来る。

そんな私はどうかと言うと、うつ病になって5年半くらいで、5年以上もかかって、ひーひー言いながら罪悪感を手放した。

(罪悪感の手放し方の話↓)

うつ病になると、もれなく「罪悪感」が付いてくる。参加者全員にプレゼント!といった勢いで、付いてくる。拒否は出来ない。全プレだから。 う...

「既成概念の破壊」は、自己暗示である。「私はコレでオッケー、大丈夫。人は人、私は私。うつ病は重病」と自分に言い聞かせていったら、いつのまにか既成概念は徐々に崩れていった。人は労働するもの、とか、主婦はテキパキ家事をこなすもの、それができない自分はダメ人間、と、当たり前のように思っている概念を、1回くらい「出来てなくてもオッケー」と考えるだけでは、なかなか覆せない。何度も繰り返し、ほぼ毎日のように自分に言い聞かせた。

でも、逆上がりと一緒で、逆上がりも出来るようになるまでは難しいけど、コツさえ掴んでしまえば、後は簡単に出来るように、なかなか手ごわい既成概念も、一度壊れてしまうと案外あっけなく崩れ去る。これまで思い込んできた概念を、こんなもんでいいかー、とか、気にしなくてもいいやー、と思えるようになってきた。

私の中の罪悪感と不要な既成概念が無くなるまでは、横になっていても心は休んでいなかったので、今考えると、休養しているとは言い難かったと思う。横位置で苦しんでいただけで、休んではいなかった。なんであんなに自分に厳しくしていたのかなぁ、と去年までのことを考えるとそう思う。なので私は6年近く自宅療養しているが、ちゃんと休養できるようになったのは、まだやっと半年くらいなのだ。

今はようやく、のんびり休養できるようになってきたので、休養しながら自分の興味のあることにも意識が向けられるようになってきた。「休んでいるけど、世間も人の目も気にしないで、興味のあることはチャレンジしてみる」ことが出来るようになってきた。

そうなったところで初めて、自分がスムーズに回復し始めたような感じがしている。まだ、うつ病の終わりはまだ見えないし、調子の悪い日もあるけど、自分で自分を責め続けていた去年に比べたら、とても良くなってきていると思う。

結局のところ、「急がば回れ」なのだ。これは、うつ病の治療にも有効なメッセージだと思う。早く仕事に復帰しなきゃ、とか、一人前に動かなきゃ、とか、経済的にも不安、と焦る気持ちはあっても、とりあえず「急がば回れ」だ。回り道のように思える、のんびりした休養を取ることが、結局は回復への一番の近道なのだ。

フライングして仕事復帰して挫折したり、6年も苦しみ、もがいてしまった私自身の経験から言うと、焦りは出るけどそこをなんとかこらえて、諦めて、今、ちゃんと休んでおくほうが、早く健康な皆さんのいるほうに近づける。

うつ病を早く治したければ、定期的な通院服薬と、

「現世に気を取られず、本気で休む」

ことが重要だ。

良くなってから考えればいいことは、その時考えればいい。

だから、もし、あなたがうつ病で苦しみ、治療に行き詰まっているなら、

「ーー今は、すべてを忘れて、おやすみ。

起きたら好きなことだけしていいよ」

その向こうには、今歩いている険しい道よりも、ゆるやかな道が、きっと見えてくるはず。