初期設定は最悪、そう思っていれば楽に生きることができる。世界滅亡からの考察。

唐突であるが、「世界滅亡の終末予言」について考えていたら、「楽に生きる方法」についてのヒントを見つけたので、その考察を書く。

終末予言と言えば、まず思い出すのが、1999年に日本中を震え上がらせた「恐怖の大王が降ってくるノストラダムスの大予言」である。また、それより小規模だが、2012年には「マヤ歴終了による世界の終わりの予言」というのもあった。結局どちらもハズれて、今のところ世界は滅亡していない。引き続き世界は平常運転である。

予言というものは、結果的に当たるかハズれるかのどちらかであり、世界滅亡系の予言が発表された場合、未来は次の3つのケースのどれかになると考えられる。

(1)予言がハズれたケース。この場合は、今のこの世界が続く。

(2)予言が当たり、一瞬で世界が滅び、消滅するケース。巨大隕石がぶつかるとか、地球が爆発するとか、宇宙に何かあったりして、世界そのものが一瞬で終わり、人類も痛みすら感じる間も無く一瞬で死に絶える。

(3)同じく予言は当たるが、ある程度の期間を持って破滅していくケース。地球規模の大災害が起こり、現代社会は崩壊し、たくさんの人々が亡くなり、大切な人を失う。デンジャラスな世界で、生き残った人々は恐れ戸惑い、不安に怯え、苦しみながら争い、なんの救いもなく絶滅へのカウントダウンが始まる。

さてそこで、この3つのうち、どの世界で生きるのが一番イヤだろうかと考える。(2)の瞬間消滅ケースは、イヤとか思う感情も無くなるので除外して、(1)今の世界で生きるか、(3)絶望の世界で生きるか、の二択とした場合。私なら(3)の苦しい絶望の世界のほうが断然イヤである。

「もしかして予言が当たってたとしたら、今頃そんな世界でサバイバルしてたのかもね、ヤダよねー」と私は、いつもの喫茶店で友人の横水さんと話していた。

終末予言で語られるような恐怖の世界で生きるより、今の世界のほうが断然いい。

今の世界での私は、病気を抱えているし、いろいろ不安だったり、心配事や、悩みもある。

でもそれよりも、未曾有の大災害の中、安心できる家も無く、スマホも電化製品も使えず、目の前で大切な人が死んで行くような過酷な状況で、辛うじて生きながらえている、というのはもっとイヤだ。家族と過ごすことや、横水さんとたわいもない話をしながら、のんびりお茶を飲むことも出来なくなる。

つまり、最悪の世界に比べたら、今のままで、けっこういいのだ。今のままの世界のほうが幸せだ。

ということは、である。他の物事においても、初期設定を「最悪」にしておけば、「普通」の状態が幸せになるんじゃないだろうか。

私達はふだん、「悪い状態」を基準にしないで、「よりよい状態」を基準にしてしまう。それにより「今の普通の幸せ」を見過ごしている。よりよい状態が基準だから、そこから下がると落ち込み、上がれないと不満を持ってしまう。たぶん知らず知らずのうちにハードルを上げすぎているのだ。

人は、自分を取り巻く環境に対して、自分自身に対して、他人に対して、いろいろなことに期待しすぎているのだと思う。だから期待がハズレて苦しむことになる。

それならば、幸せを感じるためには「初期設定を最悪」にしとけばいいのだ。

初期設定が最悪なら、今の状態が普通でも、良いと感じられる。普通より下でも、最悪よりは上で、良いと感じられる。普通より上なら、すごく良いと感じられる。今を最悪と感じるなら、少し上がるだけで、良いと感じることができる。

だから「初期設定は最悪」にすると、幸せを多く感じるようになるのだ。そうすればもっと楽に生きられる。

これが、私と横水さんが世界滅亡論から導き出した結論である。

最後に蛇足であるが、もしどうしても世界が滅亡するということであれば、(2)の何もかも瞬間消滅パターンを希望する。一瞬でサクッとよろしくお願いします、と思っている。