私を自殺願望から解放してくれたのは服薬、療養と、息子の言葉でした。

前回に引き続き、今日も自殺願望についての話を。

(私が自殺未遂しかけた話↓)

冒頭でちょっとだけ、今の日本の自殺者の状況を。 近年、日本における自殺者数は、確認されただけで年間約3万人を超えるという。報道では、自...

私の自殺未遂を止めてくれたのは、愛犬の小さい犬だったが、私が自殺願望そのものを手放すキッカケになったのは、息子とのやりとりだった。

関東の大学に通う私の1人息子は、うつ病になる前の私の気質に似て、お調子者で陽気で明るく、にぎやかだ。友達も多くて、たまに帰郷すると家に居つかず、地元の友達と出ずっぱりで遊び歩いている。

そんな息子は、私のことを「まこさん」と呼ぶ。

息子が幼い頃は、ママと呼ばれていたのが、小学校高学年になり、周りの友達が母親の呼び名を「ママ」から「お母さん」「母さん」「母ちゃん」とスライドさせて行く中で、息子は思わぬ抵抗を見せた。

「お母さんも、母さんも、イメージと違うんだよなー、母ちゃんも違うし」

と言う。

「私は何でもいいよ。でも、へぇ〜、ママって呼ぶのが恥ずかしいって、そんなことを考えるようになったんだね〜」

「うるせえな」

「年頃だね〜」

「俺の名前は年五郎じゃねぇわ!」

「そんなこと言ってないわ!」

そんなやりとりがありつつ、しばらくの間は「なぁ」とか「おい」とか、夫でも呼ばないような、亭主関白テイストで私を呼んでいたが、中学2年になったある日、

「検討の結果、まこさんて呼ぶわ。それ以外にねーわ」

と宣言してきて、以後、私は息子から「まこさん」と呼ばれるようになった。

今日はそんな息子を軸に、私が自殺を考えなくなるキッカケになったやりとりの話を書こうと思う。

自殺未遂から2年以上が経った去年の夏、服薬と療養のおかげで、私の自殺願望はずいぶん減ってはきたものの、まだまだ死にたい気持ちは無くならず、時折込み上げる死への欲望に振り回されていた。

死にたい。でも死ねないので、世界のほうから滅亡して欲しい。でも世界は滅亡しそうにないので死にたい。

「死にたい、死にたい、死にたい…」

その日私は、キッチンのテーブルに突っ伏して、誰に言うともなく呟いていた。

ガタンと音がしたので、顔を上げると息子が入ってきていて、冷蔵庫を開け、「オレの」とフタにマジックで書かれた500mlのペットボトルのコーラを取り出し、ラッパ飲みしだした。

息子は夏休みで帰省してきていたのだ。私は焦った。

ーしまった、今の、死にたい、って言ったの、聞かれた?

私はそれまで、発病から5年近く経つのに、息子の前でだけは「死にたい」と言ったことがなかった。私がうつ病になって苦しんでいるのは、息子も見ていて知っているのに、なぜだか分からないけど、そのセリフだけは、息子の前で言ってはいけないような気がしていたのだ。

息子は私に背を向けたまま、ペットボトルのフタを閉め、冷蔵庫に戻した。そして振り向きながら高い背をかがめて、座っている私の顔の前に顔を持ってくると、

「まこさん、死にたいの?」

と聞いた。

聞かれていたことに私は焦って動転し、

「えっ、あの、その、死にたいと言うか、あの、どうしても、そういうふうに考えちゃって…」

と、しどろもどろになりながら答えた。

息子はテーブルを挟んだ私の正面に座ると、

「ふーん、そうか。

俺も、死にたいと思ったことあるよ、

中学生の頃」

と、真面目な顔で言った。

突然の静かな告白に、私は一瞬戸惑い、頭が言葉を理解すると、自分の自殺願望も忘れて大混乱した。

ーえっ、死にたいっていつ? 中学生の時なら、私が病気になる前じゃない。私、気付かなかった、気づいてあげられなかった。いつも笑ってたじゃない? 楽しそうにしてたじゃない?

私は胸が締め付けられるようにギュンギュンと痛み、聞かずにはいられなかった。

「どうして? 何があったの? 死んだら困るよ」

息子は、しばらく黙ってわたしの顔を見ていた。私はますます胸が締め付けられ、苦しくなった。息子は言った。

「中学の時、友達とうまくいかなくてさ。一時期、死にたいくらい悩んだ。でも、それはもう解決したし、そいつらとは今も仲良く遊んでるから」

そう言って息子は、中学の時のクラスメイトの名前を上げた。それは、今も息子の親友と言っていいくらい仲の良いメンバーで、私は問題が過去のことであることが分かり、ホッとした。でも、当時の息子の苦しみには気づいてやれなかったことが胸を刺した。母親失格だ。そう思っていると息子が言った。

「今さぁ、まこさん、一瞬のうちに俺のこと、すごく心配しただろ? まこさん、自分を責めるような顔をしたよ。

それと同じで、

まこさんが死んだら、俺も、まこさんの周りの人も、みーんなそういう思いをするんだよ。

みんな、死ぬ前のまこさんに、何かしてやれたんじゃないかって、ずっと自分を責めることになるんだよ。

だから、まこさんは、まこさんの周りの大好きな人のために、死なない方がいい。

俺は、死にたかった時、大事な人の顔を思い出して、俺が死んだら、その人がどんなにガッカリするか、想像した。

だから、まこさん、今度死にたくなったら、

いい?

俺を思い出して。

俺のこと、考えて。

それだけ、俺と約束して」

私は聞いていて途中から涙が止まらなくなった。いくつもの感情が入り乱れて、心が揺れて、私は泣き続けた。

息子が私に、心の底から死んでほしくないと思っているからこそ、あんまり言いたくないはずの過去を打ち明けてまで、アドバイスしてくれることへの申し訳なさと感謝。

それに、息子の言う「俺のこと、考えて」は、息子が、自分が愛されていると思っていなければ、出てこない言葉だからだ。

うつ病のひどい時が息子の高校時代と重なり、私は母親らしいことを何もしてあげられなかった。本当に申し訳ない、母親失格だ、とずっと思っていたのが、その一言で救われるような思いがした。涙の何割かは、うれし涙だったのだ。

私がこの世に送り出した命が、私の命を消してはいけない、と私に訴えている。

私は困ったような、笑ったような、切ないような、うれしいような、おかしな顔で泣き続けた。

「いい年したおばちゃんが、変な顔で泣くなよー。俺の前で泣いていいのは、若くて可愛い女子に限るんだけど」

息子は軽口を叩き、それでも私が泣き止むまで、正面に座っていてくれた。

ほどなくして息子は上京し、私はまた夫と2人になった。

死にたくなったら息子のことを考える、という息子との約束。他のことは何にもしてやれないけど、これだけは守ろう。

私はその日から、自殺願望が襲ってきても、「死にたい」という言葉では考えないようにした。死にたいと思っても、口に出さないようにした。苦しい時は約束通り、息子のことを考えた。

時に調子が悪く、消えてしまいたい時もあるけど、死にたいではなく、消えたい、と思うことにした。

そうやって自分に言い聞かせ、死にたくなったら息子のことを考えて、を繰り返した。

そうしているうちに時間は流れて、いつの間にか自殺願望は消えていた。息子とのやりとりから半年経った頃、私は私の中に「死にたい」が無くなっていることに気が付いた。

今はあれだけ死にたかったのが、嘘のように思えるくらい、死にたい気持ちが無くなった。辛い日もあるけど、死にたくはない。

たぶん、「死にたい」という言葉や思考は、自分に呪いをかけるのだ。「死にたい」という言葉が、余計に自分を死に追い立てるのだ。

私は息子との約束から、たまたまそうすることになったけど、「死にたい」という言葉で考えることを止めることが、自殺願望を、自分から分離することが出来るのだと思う。

「死にたい」を「消えたい」に言い換えることで、うつ病はまだ治らないけど、私は自殺願望を手放すことが出来た。時間と、服薬と、息子の言葉。その3つのおかげで、私は死の呪いから解放されることが出来たのだ。

先日、春休みでまた息子が帰ってきた。相変わらず地元の友達と遊び回り、家には寝に帰ってくるだけ、という生活だったが、遊びに出かける前の息子と、2人で話す時間があったので、私は言ってみた。

「おかげでさー、もう私、死にたいと思わなくなったよ」

「え、俺なんか、したっけ?」

「忘れちゃってていいんだけど、すごく私は助かったの。ありがとう」

「なんか分かんねーけど、忘れてても活躍してる俺って、何気にすごくね? まこさんは、そんな俺の母だということを誇りに思っていいよ」

「ありがとう、誇りに思うよ」

「どういたしまして、お気になさらず。

そして感謝の気持ちは、カタチで表わしてくださるといいと思うよ」

そう言って息子は、手のひらを私の目の前に差し出した。私は息子の手のひらを握り返し、

「ありがとう。でもね、気持ちには気持ちでお返ししますので、ただいまの時間、ATMはお取り扱いできません」

と言うと、

「なんだー、使えねーなー」と息子は、ひらりと遊びに出かけて行った。

そして息子は2週間の帰省を遊び尽くし、上京する日がやってきた。私は体調も悪くなかったので、駅まで息子を見送りに行った。

駅のホームに電車が滑り込んでくる。また息子は一人暮らしに戻る。行ってしまうのは、やっぱり、ちょっとさみしい。

「ちゃんとごはん食べてよ、体に気をつけてよ」

電車のドアが開き、息子はキャリーバッグを持ち上げ、電車に乗り込む。振り向いて息子が言う。

「まこさんも、体に」

息子が言葉を切ってうつむく。私は当然、体に気をつけて、と続くものと思って、うんうん、とうなずく。息子は顔を上げて言う。

「まこさん、体に、それ以上、肉付けんなよw」

ハァ? ちょっと!と言う間も無く、プシューッと音を立てて電車のドアが閉まる。ドアの向こうで舌を出し、手のひらをヒラヒラさせた息子を乗せ、電車は動き出して行く。

キー! ヤラレター。

この借りは、夏休みになったら返すからね。