致死率は計測不能。うつ病と自殺。それ病気の症状だから、なんとか乗り切って。

冒頭でちょっとだけ、今の日本の自殺者の状況を。

近年、日本における自殺者数は、確認されただけで年間約3万人を超えるという。報道では、自殺者数が3万を超えた、これは憂うべき事態だ、とキャスターが顔を曇らせながら言うが、本当は、そればかりではないらしい。

全国の不審死者数は、年間15万体を上回るという。不審死=自殺か、病死か、事故死か、(あるいは他殺か)判断のつかない死者が、毎日だいたい430人ほど出ているのだ。怖いね。

世界保健機関のWHOでは、不審死者数の半数を自殺者とする、という基準を制定しているという。

不審死者15万人超えの約半数として、ざっくり8万人。報道されている自殺者数3万人と合わせると11万人を超える。それだけの人数が、自らの命を絶っているのが、今の現状だ。

11万人と言えば、小さい地方都市が、ラクラク1個消滅するレベルの人数だ。この数字だと、死因ランキングにも、かなりの成績で滑り込んでくるライン。

そして一説によると、全自殺者の9割が、なんらかの精神疾患にかかっていたとも言われている。

精神疾患にもいろいろあるけど、精神の病による「うつ状態」が引き起こす希死念慮(自殺願望)に囚われ、自らの命を絶つ人は、きっと私達の認識より、はるかに多いのだ。

その自殺願望は、病気によるものなのに、それに気づかないまま、命を絶ってしまう。

今の世の中は、精神疾患に対して、誤解と偏見で出来たイメージが蔓延している。患者さん自身もそのイメージに囚われ、自分の病に嫌悪感や罪悪感を持ち、自分を責め、死を選んでしまう。

発表されている国内のうつ病の羅患率は、ほんの数パーセントだ。でも、自分で病に気づいていない人、自分が精神疾患だと認めることに抵抗があるため、未治療でいる人を上乗せすると、膨大な人数になるのではないかと思われる。

うつ病に対する、誤解と偏見だらけの世の中でなくて、もっと安心して治療が受けられる状態があったなら、死ななくていい命もあっただろうになぁ、と歯がゆく思う。

そんな私は、うつ病歴7年で、自殺未遂者でもある。

私には私のことしか分からないけど、今日は私が一番「死」の近くまで行って、Uターンしてきた時の話をしようと思う。

うつ発病から半年、私は頭がフリーズしてしまい、なにやら得体の知れない不安は感じるが、まったく動けなくなった。

思考もほぼ停止していたので、後から振り返ってみると、この時期はあんまり大変じゃなかった。大変だ、と思う思考力がないので、ただ横になっているだけのシーズンだった。

半年が経ち、少し感情と思考力が戻ってきた。戻ってきた感情は、恐怖と罪悪感、思考力は、「前みたいに思考できない」ということが分かるぶんだけの思考力。

私の世界は恐怖と不安に彩られ、罪悪感を強く持ち、引きこもりになった。

私と2人で生活をしている夫は、その頃、仕事の帰りにマンションの駐車場をチェックして、私が、駐車場に叩きつけられていないことを確認してから家に帰ってきていたという。

そう、その頃の私は、死にたくて死にたくて仕方がなかったのだ。罪悪感と絶望感から来る、死への渇望。

死にたいというより、正確には「消えたい」「すべてを終わらせたい」という気持ちが強かったのだが、それを実現する手段が「死」しか思い浮かばなかったのだ。

「死にたい、死にたい、死にたい…」

私は、あてもなくつぶやく。誰かに止めて欲しいわけでもなく、誰かの気を引きたいわけでもない。苦しくて、絶望が胸を押しつぶす時に、死にたい、という言葉が溢れ出てしまうような、ため息にも似た感じの自殺願望。

病前の私は、自殺願望なんてところからは、まったく程遠いところで生きていた。毎日がハッピーで、うまく行っていたし、なにより父を早くに亡くしたことから、生きたかった人の分まで生きなきゃ、と思う、明確な自殺反対論者だった。

でも、うつ病は私の思考を乗っ取り、死へと誘った。うつ病の「死にたい」は、症状のひとつなのだ。

そして、私にとっての死とは、夫が心配したように、飛び降り一択だった。血を見るのが苦手なので、手首や首を切ったりするのはダメ。我が家はロープを吊るせる場所がないので、首つりもダメ。駅まで徒歩5分が歩けないので、飛び込みもダメ。消去法でフライング・アウトしかないのだ。

その頃、私を心配する夫の勧めで、私は小さい犬を飼うことになった。

私は小さい犬が来ることになり、その世話をすることで、ずいぶん感情を取り戻した。
(小さい犬が来た時の話はコチラ↓)

今日は私が経験したアニマルセラピーについて書こうと思う。アニマルセラピーというと大げさだが、私の家に小さい犬がやってきた話である。 アニマ...

しかし依然として、自殺願望は消えなかった。

それは、良く晴れた、暑い夏の日だった。

私はマンションのベランダの角にいた。ベランダにはイスが2つ、小さな丸テーブルを挟んで並んでいる。

私は足元に置かれたプランターを見る。病気になる前、大切に育てていた鉢植え。まるで私の心の中のように、どれもが枯れ果てて、無残に放置されている。手すりの向こうには、理不尽に思えるほど晴れ渡った夏の空が広がり、飛行機雲が1本伸びている。

私は手すりを握り締める。力を入れ過ぎた指の関節が白くなり、手のひらには、太陽に照らされた金属の熱さが伝わってくる。こんなに暑いのに、胸には冷たい絶望感が広がっている。頭ははっきりしないが、明確なことがひとつだけある。

この手すりを乗り越えたら、

全て、終わり。

私はアスファルトの駐車場を見下ろし、そこに自分が叩きつけられる瞬間を想像する。飛び散る脳漿、変な方向に曲がった手足、徐々に広がっていく血溜まり。

横たわった私は、頰にアスファルトの熱を感じるだろうか。痛みを感じる暇はあるだろうか。遠のく意識、ブラックアウト、そして数秒後に確実に訪れる死。

私はずっとそれを望んでいる。いつまで続くか分からない、この覚めない悪夢を、今すぐ終わらせよう。

私はイスを手すりに引き寄せ、座面に立った。イスの上に立つと、手すりの上部から5センチ下くらいのところに膝が来る。

もう、私を遮るものはなく、後は体を前に倒すだけ。

さぁ、逝こう。

私は目を閉じ、前に倒れ掛かった。

「キャンキャンキャンキャン!」

私はけたたましい声に、倒れ掛かった体を、ギリギリ両腕で手すりにつかまって支え、部屋の中を見た。1秒でも遅かったら体を支えるのは無理だっただろう。

部屋の中では、小さい犬が、ベランダに面した窓に張り付き、鳴きわめいている。

……あー、朝ごはん、あげてなかったっけ、
あげてから死ななきゃ。

私は小さい犬の責任者なので、最後まで、ちゃんと世話をしなくてはいけない。

私はのろのろとベランダのイスから降り、部屋に戻った。

キッチンに行き、ドッグフードを取る。小さい犬のお気に入りのクッションの横に置いてある、ドッグフードを入れるボウルを見て、私はドッグフードの紙パックを掴んだまま、座り込んでしまった。

ボウルには、ドッグフードがいっぱいに入っていたのだ。

――お腹が空いたから騒いだんじゃない。私を止めようとしたんだ。

そう気が付いたら、私は泣いていた。

これまでも私は、飛び降り自殺を想像するために、長い時間ベランダで駐車場を見て過ごしていた。それでも小さい犬は知らん顔で自由に過ごしていた。ベランダにいて吠えられたことは一度もない。

――小さい犬は、小さい犬なりに異変を感じて、私を止めようとしたんだ。

私はそう思い、オロオロと泣いた。小さい犬は、分かっているのかどうなのか、そんな私の周りを、ちぎれるくらい尻尾を振りながら、ぐるぐる楽しそうに走り回っていた。

私は泣きながら、自分がやってしまいそうになった行為を後悔した。小さい犬がいなかったら、私は逝っていた。小さい犬が、命を救ってくれた。私は、取り返しのつくところで引き返せたことにホッとしていた。

それからも、何度となく自殺願望に翻弄されながらも、毎回なんとかやり過ごし、治療のかいもあって、どんどんその願望は薄くなっていった。そして2016年の夏、息子とのやりとりから、私はようやく自殺願望を手放すことが出来た。次回は、その話を書こうと思っている。

今の私には、自殺願望はない。

自殺願望は症状のひとつで、病気が良くなることで、無くすことができるものなのだ。

最後に、今、死んでしまいたいあなたへ。

自殺願望は、良くなれば消える。

死にたいと思ってること、それは病気の症状だから。

衝動が来たら、我慢してやり過ごすしかないけど、なんとか乗り切って。

死の衝動が来ても、10分くらいじっとしゃがみこんで、耐えていれば、強い衝動は収まると、精神科の先生も言っていた。それか、それがあんまり続くようなら入院だと言っていた。

その願望は、病気によるものだ。

だから、どうか、早まらないで。

あなたに必要なのは、死の静寂ではなく、病気の療養なのだから。