うつ病における罪悪感と価値観の関係。その価値観を見直したら、ずいぶんラクになるかも。

うつ病になると、もれなく「罪悪感」が付いてくる。参加者全員にプレゼント!といった勢いで、付いてくる。拒否は出来ない。全プレだから。

うつ病も6年目を過ぎ、そろそろアマチュアからプロのうつ患者になったと言ってもいいくらいの現在の私は、この罪悪感というものが、うつ病の苦しみのかなりのパーセンテージを占めている、と考えている。

罪悪感が心の中にあることで、毎日が苦しく、自分は生きる価値などない、と思ってしまうのだ。罪悪感に責められ続けて、死を選んでしまう場合もある。

私もうっかり、何気なく死んでしまいそうな数年を過ごしたが、なんとかギリギリのところで踏みとどまり、回復とともに、去年の夏、発病から5年と4か月で、ようやく希死念慮(自殺願望)を手放すことが出来た。

死の淵のギリギリのところで、片足を突っ込んだけど帰ってこれた私は、罪悪感が死に至る原因ではないかと考えた。

今日は罪悪感と、罪悪感をもたらす価値観について考えたことを書く。

私は、カウンセラーでも臨床心理士でもない、ただの専業うつだが、時間は山のようにあるので、延々と「うつ病のもたらす罪悪感」について考える。

罪悪感を辞書で調べて見ると、

ざいあく-かん【罪悪感】

罪をおかした、悪いことをしたと思う気持ち。

とある。

罪悪感を持つ、うつ病患者さんは「罪の意識」を常に持っているということだ。

「悪いことをしている」という気持ちがあるのだ。

いったい誰に?

罪悪感があるということは、誰かに対して悪いことをしている、と思っているのだ。誰に対しての罪悪感なのだろう。私はそのことを繰り返し考え、自分の心を観察しているうちに、罪悪感の対象が、3つに分類できることに気がついた。

ひとつは、「身近な人」

ふたつめは、「世間」

みっつめは、「自分」。

「身近な人」への罪悪感は、これはもう具体的な罪悪感だ。自分の意思とは関係なく、病気になってしまったのだから、身近な人を巻き込んでしまうのは、もうどうしようもない。

それでも私は、家事の負担を家族に押し付けること、働けなくなって経済的にも負担をかけてしまうことに罪悪感を持ち、とても苦しんだ。苦しむだけで、何も出来ないのが、また辛く、罪悪感に拍車をかける。

でも、もし、これが癌とか内科外科系の病気やケガなら、そこまで罪悪感を持っただろうか。

自分のどこかに、自分の病気を軽んじる気持ちがあるから、罪悪感を持ってしまうのではないか。

よくよく考えてみると、うつ病って、かなりデンジャラスな病気である。一説によると、日本の全自殺者の9割が、なんらかの精神疾患を負っていたと言われているが、病院に行ってないうつ患者さんもいるので、うつ病の致死率は、計測不能なのだ。

「ーその病、致死率、計測不能。」なんて言われたら、かなり怖い病気だと思える。「心の風邪」なんて吹っ飛ぶよね。

私にしても、もう6年も社会復帰できずに療養している。闘病という言葉はあんまり好きじゃないので使いたくないが、6年もサバイバルしているなんて、かなりの重病人である。

それなのに、心の風邪なんてイメージがあるせいで、患者である私まで、心をどうにかすればよくなると思い込んでいた。

うつ病に対して間違った価値観を、患者自身が持っているせいで、罪悪感を持つハメになるが、うつ病はかなりハードな重病だ。こじらせると死ぬ。

「うつ病は、死亡する可能性のある、危険な病気」なのだ。

だから、身近な人には助けてもらうしかない。家族に理解がなくても、自分自身は、ちゃんと怖い病気に罹っていると、そう思わなくてはいけない。

そして身近な人には、罪悪感の代わりに、感謝の気持ちを持っていたい。「ごめんなさい」よりも「ありがとう」を言う。それだけでも罪悪感から遠ざかれると思う。

そして、罪悪感の対象、ふたつめの「世間」。

これは、もう働きバチの日本人らしく、働いてないことや、休んでいることを「世間」に対して申し訳なく思ってしまうヤツのことだ。

私もずーっと長いこと、世間に対して後ろめたい気持ちが消えなかった。

でも、今考えると「世間」て誰?って感じである。小学生が言う「みんな持ってるからゲーム買って」の「みんな」くらい、アバウトな団体だ。

これこそ、最も気にしなくてもいい相手だし、世間も、私の動向など気にしていない。だから、世間に対して罪悪感を持つのは、まるで無意味なのだ。

そして、罪悪感の対象、3つめの「自分」。

これが一番やっかいで、罪悪感が取り除きにくい。これまで生きてきた経験や社会に準ずる価値観で、物事を考えてしまうからだ。

価値観が変われば、罪悪感も減るかも。そう考えた私は、ひとつずつ価値観の変更に努めることにした。

・休んでいるだけで何も出来ない。
→死に至る病気なので当たり前。

・働けない。
→これも死に至る病気なので当たり前。

・家事が出来ない。
→これも死に至る(以下略

・外出出来ない。
→これも死に(以下略

・昼夜逆転している。
→夜勤の人はそのように過ごしているので、自分も夜勤だと思おう。うつの夜勤。

・昼寝してしまう。
→シエスタのあるスペインでは当たり前。スペインに移住したら普通。

・お風呂に入れない。
→幸せの国ブータンの山岳地帯に住む人は、一生に一度もお風呂に入らない人達もいるらしい。それでもブータンの国民は幸福度が高いと言う。お風呂に毎日入る決まりなんてないので、自分が入りたくなったら入ればよし。

…と、繰り返し自分に言い聞かせ、価値観を変更したら、私は罪悪感が減り、とても過ごしやすくなってきた。

以前も書いたけど、罪悪感をうまく使えるのは、太宰治とか、夏目漱石レベルの偉い小説家くらいだ。

罪悪感を文学に昇華させ、歴史に名を残すくらいの作品を作る予定がなければ、罪悪感は可及的速やかに、迅速に手放したほうがいい。そのほうが絶対、うつ病の回復につながる。

罪悪感を持たせる、その価値観を変えて、ラクになってしまおう。

イヤな匂いは元から絶たなきゃダメ、なのだ。