サービス精神旺盛なのも良し悪し。もしかしたらメーターが振り切れてるかも。望んで期待されない人になる。

冒頭から、いきなり告白してみるけど、私は、「サービス精神旺盛」である。

と言っても、それは別に特別なことじゃなくて、

ごくごく個人的な見解だが、うつ病になる人には、多かれ少なかれ「サービス精神旺盛」な人が多いような気がする。

「サービス精神旺盛」に似た雰囲気の言葉に「八方美人」があるが、「サービス精神旺盛」と「八方美人」は似ているようで、全く異なるものだ。

八方美人とは、「だれからも悪く思われないように、要領よく人とつきあっていけちゃう人」であり、

サービス精神旺盛な人とは、「相手を喜ばせたくて自分はノーリターンでも行動しちゃう気持ちを持った人」である。

八方美人と、サービス精神旺盛な人の一番の違いは、「要領の良さ」があるかないか、だ。この違いは大きい。

現代社会においては、八方美人の人のほうがスイスイ渡っていけるし、出世も早いし、適度に上手に手も気も抜けるので、そういう人はうつ病になったりなんかしない。つまり、八方美人のほうがスマートでカッコいいのだ。

その点、サービス精神旺盛な人は、相手が喜ぶことを無償でもやりたいと、無意識に行動してしまうので、要領はあんまりよくない。うまく手も気も抜けないし、全力で物事に向かってしまうので、使うエネルギーが半端ない。

それでも、目の前の人の笑顔が見たくて、「期待に応えよう」としてしまうのだ。

期待に応えようとすることはステキなことだ。相手も喜んでくれるし、自分はその笑顔が見れてうれしい。

ただ、問題なのは期待に応えようとしすぎて、無理をし過ぎているパターンだ。

期待に応える、を繰り返して行くと、「期待に応えようキャンペーン」を、無期限でエスカレートしながら開催し続けていくことになる。病前の私のように。

病気になる前の私は、サービス精神旺盛どころか、サービス精神メガ盛りくらいの勢いで仕事をしていた。

何かのプロジェクトで、企画をプレゼンテーションする機会があれば、お客さんの要望は1案のところに、A案が気に入られなかった場合の時のためにB案も、逆に違う方向から攻めたC案も、と、3〜4通り準備してプレゼンする。

かゆいところに手が届くどころか、ムヒまでぬってフーフーするくらいのサービス精神で仕事をしているので、相手には当然喜ばれ、私のプレゼンは通る。

仕事は滞りなく進み、

「次回も期待してますよ」

となる。期待に応えたい私は、次回はさらにその上を行くサービスをしなければならない。

これが数回繰り返されると、サービス精神はいつしか身を削ってまで絞り出さないといけないものになってくる。

もはや、ツルの恩返しのツル状態。ゆとりがないのに、自分の羽で反物を作っていたら、そりゃうつ病にもなるよね。だから私はあの話のツルも、うつ病になるタイプだと思う。

対人関係においても、そんな感じだったので、病前の私は楽しく交友関係を広げながらも、心の中ではツルがハタを織っていたのかもしれない。

そんながんばり過ぎの私の「期待に応えようキャンペーン」は、うつ病の開始とともに終了した。

…かと思いきや、水面下でキャンペーンは、まだまだ続いていたのだ。早く復帰しなくちゃ、世間の皆さんの期待に応えなきゃ、と焦り、嘆き、を繰り返していた。

今思えば、当時の私の言う「世間の皆さん」っていったい誰よ、って話なんであるが、その頃の私は、まだまだ何かの期待に応えようとしていたのだ。

うつ病になって数年が経ったある日、私は病前に運営していた会社の決算の件で、会計士のH先生と久々に会うことになった。

打ち合わせが終わり、私はポロリと、

「前のように戻れない自分が恥ずかしい」

とH先生にこぼしてしまった。するとシニカルなH先生は、ニヤニヤしながら、

「戻れないって落ち込むほど、前の松桐谷さんは、そんなにたいしたものじゃないよ。

ビル・ゲイツとか、あのへんの高さから落ちたなら、あぁ、落ちた、と思うだろうけど、僕からすると、前の松桐谷さんも、今の松桐谷さんも、あんまり変わらない」

と言った。H先生は、シニカルな視点を持つ先生らしいやり方で、私を慰めてくれたのだ。

ー前も、たいしたものじゃないよ。

病気になる前だったら、「ちょっと先生、失礼ね!」とでも言ったところだろうが、その時の私にとっては、雷に打たれたくらいのショック療法になった。

ーそうだ、私はたいしたものじゃない。それなのに、いったい何に期待されてると勘違いしてたんだろう。

今の私も、前の私も、別に誰からも期待されてなんかない。私が、期待されてるから応えなきゃ、って勝手に思い込んでただけじゃん。私、すんごいマヌケだわ。

人は、何者かであろうとするから、苦しみ、病気になる前の自分に固執してしまうのだ。

そもそも私は、何者にもなれてなかったし、そんなに期待されてないんだから、それに縛られる必要なんか、ないんだ。

「誰も、自分に、それほど期待していない」

卑屈にではなく、普通にそう思えた時、私の心は軽くなった。知らないうちに絡まっていた鎖が解けて、私は自由になったのだ。

だから今の私も、前より出来ることは限られているが、心は相変わらずサービス精神旺盛だ。

でも前とちょっと違うのは、自分の好きなように、自由に、サービス精神を駆使したり、気が向かないと出さなかったりしながら生きていることだ。

何事も「ほどほど」が一番ということだ、ね。