うつ病になる前の私は、文房具が大好きだった。特に筆記具とノート。
広告プランナーを職業にしていた私は、人の話を聞きながらメモを取ることも多く、商品のポップの書き方を説明したりすることもあったり、人の目の前で何かを書くというシーンが多々あった。
自分の好きなコレクトアイテム兼、仕事道具でもあったので、私は趣味と実用性を兼ねて、文房具にかなりの情熱とお金を注いでいた。
ところがうつ病に倒れた私は、仕事道具に一切触れなくなってしまった。
文房具だけでなく、仕事に関するすべてのものに、一切触れなくなったのだ。仕事用のバッグからパソコン、文房具に至るまで、見るのもイヤになった。家で仕事部屋として使っていた部屋に仕事道具を全部入れて、その部屋のドアは何年も開けなかった。
iPhoneすら、仕事と切っても切り離せないアイテムだったので、1年ほど触れず電源も入れれず、それによって私の賑やかだった交友関係は全滅してしまった。
そのうち、友人の横水さんとだけ電話が出来るようになったり、ふとんの中で映画を見たり、2ちゃんまとめを読んだりするために、iPhoneは復活したが、その他のものには一切触らずに5年以上の月日を過ごした。長いこと私の仕事部屋は、開かずの間だったのだ。
たぶん、仕事道具に触れなくなったのは、うつ病になるキッカケの出来事によって、それまで私の生きる道、天職、と思っていた自分の仕事の意義が、全く分からなくなってしまったからだと思う。
自分が半生をかけてやって来たことが、まるで無意味だった、と思ってしまったことで、莫大な喪失感を抱えてしまった。可愛さ余って憎さ百倍じゃないけど、愛着のあるものが、ひっくり返って嫌悪の対象になってしまったためではないか、と今は考えている。
だからこそ私はうつ病になったとも言えるし、うつ病になったから、仕事道具に触れなくなったとも言える。
その出来事は、まだ上手く言葉にまとめられず、時期が来ていないと思うので、今年の3月くらいになったら書こうと思う。
ともあれ、天職とまで思っていた仕事が、何もかも無意味に思えて、私は仕事を連想させるものを見るのがイヤになってしまったのだった。
それでも、私の抱えた喪失感は、5年の歳月がゆっくり癒してくれ、やっと、うつ病も小康状態となってきた。
そんな去年の秋、私は恐る恐る、5年ぶりに仕事部屋のドアを開けた。
部屋は人の出入りがないので、ホコリがつもっていた。手付かずの物置同然となった部屋の中で、私の大切な仕事仲間だった道具達は、静かに私を待っていてくれた。
仕事部屋に入っても辛くない。私、大丈夫。そう確認しながら私は、ホコリを払ってビジネスバッグを開け、お気に入りの筆記具を取り出した。
それらは病気になる前と同じように、適度な重量感で私の手に馴染み、私はときめきを覚えた。
あぁ、この感覚。ちょっと胸踊るような、わくわくした気持ちにさせてくれる、大切な筆記具達。
ー長いこと、放ったらかしでごめんね。
私はそう思いながら、万年筆のキャップを外し、ペン先を紙に走らせる。これもこだわって選んだ、深いブルーブラックのインクが、紙の上を滑らかに滑っていく、
…ハズだった。
アレ? 書けない?
そりゃそうである。5年も使わず手入れもせずに放って置けば、万年筆などインクが固まって書けないに決まっている。
私は諦めきれず、次々と万年筆を試すが、お気に入りだった万年筆は、揃いも揃って全滅していた。
…ちょっと待ってよ、静かに私を待っててくれたんじゃないの⁉︎ ここはひとつ、万年筆で「I’m Back…」とか、筆記体とかで書いちゃうような、いいシーンじゃないの?
かーっ、コレ高かったのになぁ、マジか、とか思いつつ、たぶん近所の文房具屋さんでは対応してもらえそうにないし、専門店に持って行って修復可能かどうか聞くのも面倒くさいので、それらは今のところ、そのまま放置してある。そのうち気が向いたら、再生してやろうと思っている。
そんな折、先日、文房具コーナーが充実している大きめの本屋さんに行った。
今の私はまだ、自分の備忘録くらいしかペンで書く用事はないが、せっかくならやっぱり万年筆で書きたいな、と思ったので、以前のようなインクを補充する仕組みの凝ったのではなく、1000円くらいの使い捨てタイプのリーズナブルな万年筆を買った。値段の割にはいいやつっぽく見えて、書き味もなめらかなので、いい買い物をしたと思う。
ついでに、以前の私はロディアのA5サイズのメモパッドを愛用していたのだが、細長いタイプのものを見つけたので、それも買った。
ロディアの細長メモは、幅がiPhoneくらいで丈が20センチくらい。
持ちやすくて、長いのでいろいろ書ける、最近のお気に入りだ。
(最近買った1000円の万年筆とロディアの縦長メモ↓)
そんなわけで近頃の私は、この万年筆とロディアの縦長メモを気に入って、しょっちゅう使っている。
そしたら、その様子を見た家族が、
「何ソレ、一句、詠んでるの?」
と聞いてきた。
…確かに縦長のメモは一句詠んでるように見えなくもないかもしれない。私はアーバンな、シャレオツなつもりで使っているのだが、家族がそう言って笑うので、ちょっと憎たらしい。
でも、この話の流れ的には、一句詠んだほうがいいっぽい気がするので、僭越ながら、一句詠んで結びとする。
「うつ病は いろんなものを ダメにする
詠み人ー松桐谷まこ」
ーお粗末。でも本音。