「知り合いに会うのが怖い」を解決してくれた、臨床心理士の先生の言葉。

「知り合いに会うのが怖いんです」

と私は、臨床心理士のF先生に言った。

私は去年の秋から、うつ病の通院診察と並行して認知行動療法を受けている。

主治医のK先生が進めてくれたので、素直に受けることにした。

以前の私なら、臨床心理士の先生との面談を受けるように言われたら、「私になんか心の問題があるってこと⁉︎」と、ちょっとプンスカしたと思う。

でも主治医がK先生に変わってから、私は着実に良くなってきているので、信頼するK先生がそう言うなら、やってみようかなぁ、と認知行動療法を受け入れることにしたのだ。

初めて認知行動療法を受けることになって予約をしたら、「11:00 心理面接」と書いた予約表をもらった。

心理面接という文字を見た私は、空想をふくらませる。ウッディ・アレンの映画に出てくるような、長椅子に患者が寝そべった感じで横になる。少し離れたところに1人用の腰掛け椅子があって、そこに仕立ての良いピンストライプの紺のスーツを着たカウンセラーが、足を組んで座り、「昨日見た夢は?」などと患者に聞き、バインダーに挟んだカルテにペンを走らせる、みたいな感じで思っていたのだが、実際に行ってみたら全然違った。

私を担当してくれる臨床心理士のF先生は、真面目そうな感じの、でも笑うと顔中が笑顔になる優しい印象の先生だった。ピンストライプのスーツは着ていなくて、普通に白衣だった。

明るい診察室で、テーブルを挟んでF先生と向かい合わせに座り、私の中の不具合なことを相談して、それについて先生が考え方のアドバイスをくれる。

こうしなさい、ああしなさい、という強い感じではないけれど、考え方のヒントをくれる感じ。

最初のうちは、ちょっと緊張して行っていたが、そのうち私は自分の頭の中をひも解いていくのが楽しみになってきた。

日常生活の中で起きる、こまごまとした問題と、その時感じた感情をメモして、F先生に聞いてみる。

F先生の答えに、なるほどー、そういう考え方をすればいいのか、ハハーン、と思うことが増え、私はF先生のことを信頼するようになった。

ある日の面談で、私は冒頭の質問をした。

「知り合いに会うのが怖いんです。なんででしょう?」

私はパーフェクトな引きこもり状態から、やっと小康状態となり、少しずつ出かけられるようになった。出かけられるようになったと言っても、最初の頃はショッピングモールや駅などの人の多いところには怖くて行けなかったが、近頃では調子のいい日なら、人混みの中でも大丈夫になってきた。

知らない人なら大丈夫。でも今度は、別の問題がクローズアップされてきた。

「知り合い」に会うのが怖いのだ。

街で偶然知り合いを見つけると、そそくさと隠れてしまう。もしくは気づかないふりをして通り過ぎる。

なんで私、何も悪いことしてないのに、隠れてるんだろう? 何が怖いんだろう? 自分の深層心理が分からないので、上の質問をしたところ、F先生はこう聞いてきた。

「前回の面接で、

①出来事が起きて、
②考え方があって、
③感情が起こる、

って話をしたと思うんですけど、

今のケースだと、

①出来事は、知り合いに会った、
②?
③感情は、怖いと思って隠れた、

ですが、

では知り合いに会って、②どう考えました?」

「えーと…、長い間会ってないので、必ず病気の具合を聞かれるのがわずらわしい、って感じです」

「そうですか、じゃ、そこのところを見直しましょう」

先生はニコニコしながら続けて聞く。

「松桐谷さんが、病気のことをたずねられるのがイヤなのは、なぜですか?」

「病状を理解してもらうのに手間がかかるし、外でバッタリ会って、具合悪くて休養中なのに出歩けるの?とか思われるのが、説明がもう面倒くさくて」

「そっかー、なるほどねー」

先生はちょっと考えてからこう言った。

「その知り合いは、知人か友人か?って考えたことあります?」

「あっ、無いです」

ー確かに、そんな風に考えたことは無かった。知り合い、でひとまとめにしてしまっていた。

「その会った人が、もし友人ならね、今はまだ全部を話せなくても、時間をかけてゆっくり分かってもらえばいいと思いませんか?」

「はい、思います」

「知人だ、と思うなら、相手も病状をたずねたことにそんなに意味は無いから、“うん、まぁまぁ。ところであなたは最近どうなの?”って、聞き返したら? 松桐谷さんが会話の主導権を握ってみたらどうでしょう?

話題が病気から逸れますよ」

「あー、なるほどー。今度からそういうふうにしてみます!」

私は感心して、手帳に、

ー友人 or 知人?

とメモした。大事なことだと思ったので、赤いペンで囲んでおいた。

確かにそこをきちんと見極めて、F先生が言ったような対応をすれば、面倒くさくない。私は怖かったのではなくて、面倒くさかったのだ。知り合いに合ってしまった時にどう対応していいか分からないという、「不明である状態」が怖かっただけなのだ。

これでもう、私は隠れなくて良くなった!

認知行動療法、スゴーイ。

またひとつ、私の問題が解決した。

今日の記事を、シェークスピアのハムレットになぞらえてまとめるなら、

ー知人か、友人か。

それが問題だ。