うつ病のみみちゃんがウチの事務所の面接を受けに来た話。

今日は、私がうつ病になる前の、まだバリバリ働いていた頃。ウチの事務所にうつ病を経て復職したいと面接に来た、みみちゃんという女の子の話をする。

改めまして私、
「松桐谷まこ」です。

今日の記事は、いつもの2.5倍(当社比)の長文で、名前を呼ばれるシーンが出てくるので、あらかじめフルネームで名乗ってみた。
では、続きをどうぞ。

私は病気になる前、広告業界でフリーの販売促進プランナーとして活動していて、自分で会社を経営していた。

会社経営と言っても、株式会社にはしてあるが、基本的には私の個人事務所なので、スタッフは私のマネージャー兼、事務経理担当の山田めぐみちゃんという、私と同い年の女性が1人だけ。

めぐみちゃんはおっとりして、ゆるやか〜な雰囲気の外見なのに、頭の回転が早く察しがよく、ものすごく冴えッ冴えの気配りが出来る人だった。

ある日、クライアントの会社に打ち合わせに行くと、広告担当者さんが笑顔でお礼を言ってきた。

「いつも心温まるお手紙、うれしいです。山田さんにお礼を伝えておいてくださいね」

めぐみちゃんが、うちの会社から領収書を送る際に、ひとこと箋で仕事を頂いた感謝と、ちょっとしたメッセージを添えていてくれたのである。

やりたいと思っているけど手が回らなくてやれないことが、頼もうとする前にやってある。

打ち合わせに持って行く企画書は必要部数分がコピーされてデスクに置いてあるし、新規のお店のオープンの仕事に関われば、開店の日にお花が届くように手配済み。

頼む前に全部やってあるどころか、気づかなかったところまでカバーしてくれている。

めぐみちゃんは、そんな細やかな気づかいの出来る人で、親しい同業者やクライアントからは、松桐谷の事務所は、山田さんがいるから回ってる、と評されるほど、めぐみちゃんは人望が厚く、愛されていた。

そんな感じで私は、めぐみちゃんと2人3脚で仕事をしていたのだが、ある時、機会と時期が訪れたので、本業の広告稼業とは別の事業を始めることにした。

そうなると、私とめぐみちゃんは本業の広告の仕事があるので、新たにスタッフを増やす必要がある。

私は自社サイトとブログ、地元のタウン誌に求人を出した。採用予定は2人、と思っていたところ、30件の電話があり、20人ほど面接をした。そして2人の女の子を採用した。

新しい事業が始まり、2人は明るく元気で、生き生きと働いてくれる。

「いい人達が来てくれて良かったですねぇ」

「ほーんと、ありがたいよね〜」

と、私とめぐみちゃんは話し合った。

そして数ヶ月が経ち、新規に立ち上げた事業の慌ただしさも落ち着いて来た頃、事務所に1本の電話が入った。

話を聞くと面接希望だと言う。アレ? 求人って今、出してたっけ? もう人手は足りてるしなー、と思いながら話していると、

「面接だけでもいいんです」

電話の向こうの彼女は言う。心なしか声が震えている。なのに熱意は感じる。じゃ、とりあえず面接を、ということになり、来社の日時を決めた。

「もう、経理的にはいっぱいいっぱいなんですからねー、採用は無しですよ、会うだけですよ」

と、めぐみちゃんが言う。ハイハーイ、と私は答えた。

当日ウチの事務所に現れたのは、20代半ばのおとなしそうなボブカットでメガネの、とても華奢な女の子。

それが、みみちゃんとの初めての出会いだった。

私はみみちゃんと向かい合い、履歴書に目を通す。そして空白に気がつく。

「前の会社を辞めてから今日まで、ブランクありますけど、この時期は?」

私はみみちゃんにたずねた。

「…うつ病で、療養してました」

みみちゃんは答える。私は聞く。

「もう働いても大丈夫なの?」

みみちゃんはうつむいて、そして顔を上げて言う。

「もし雇ってもらえたら、ご迷惑をおかけする日があるかも知れません。

でも、松桐谷さんのブログを読んで、あの、求人はもう終わってたんですけど、あんな情熱的なことを書く人に一度会ってみたくて、

…記事を読んで、勇気をもらって、それで私」

当時の私は、当時書いていたブログで、女性起業家としての夢や希望、将来のビジョン、これが私の生きる道、というようなことを熱く熱く語っていた。彼女はそれを読んで電話をかけてきたのだ。

その少し前に私は、仕事絡みでうつ病について調べる機会があり、ほんのちょっとだけ、うつのことを知っていた。

ーこの女の子は、いったいどれだけの勇気を振り絞って、電話をかけてきたんだろう。どれだけの勇気を使って、今ココに座ってるんだろう。

その後、質問をいくつかしてアレコレやりとりし、面接は終わり、みみちゃんは帰っていった。

やりとりを全部聞いていためぐみちゃんがヤレヤレといった顔で言う。

「…採用ですね。もう心の中で決定してるんでしょ」

「あ、バレた? 経理的にはダメ?」

「大丈夫です。その分まこさんが、がんばって稼げばいいだけですから」

「ハイハイ、がんばります」

1週間後、みみちゃんはウチの事務所のスタッフとなった。みみちゃんはコツコツと仕事をする。とても真面目な人で、何をするのも丁寧だ。仕事の飲み込みも早い。あまり笑わないけど、たまに見せる笑顔が可愛い。

でも、やっぱり調子の悪い日もある。遅刻も早退も、急きょお休みの日もある。

私はめぐみちゃんと相談し、重要だけど納期はあんまり気にしなくていい仕事をみみちゃんに回すようにした。うつ病の本を読み、みみちゃんが負担にならずに働けるよう、出来る限り対応した。

それでも一度、出張でセミナーの講師をやった時に、アシスタントとしてみみちゃんも連れていったのだが、みみちゃんは途中で気分が悪くなり、会場のトイレにこもってしまった。

セミナーが終わって人がいなくなってから、みみちゃんはようやくトイレから出てきた。帰りのクルマの中でも、ずっと顔が真っ青だった。「ごめんなさい、ごめんなさい」と、みみちゃんはずっと謝っていた。誰も咎めていないのに、ずっと謝っていた。

そんなことがありながらも、みみちゃんはだんだん他のスタッフとも打ち解けてゆき、笑顔でいることが多くなった。私もみみちゃんが笑っていると、とてもうれしかった。

みみちゃんが来て2年近く経った頃。私は仕事上の大きな悩みを抱えていた。

不況の煽りで、取引先のクライアントのいくつかの業績が低迷し、逆に私の本業が忙しくなったのだ。

業績が悪いから、販売促進を積極的にやって立て直しを図る。なので不況だと販売促進プランナーの私は、儲からないけど忙しくなるのだ。

クライアントは主に関東方面が多かったので、必然的に出張が増える。別事業のほうまで目が行き届かない。

そろそろ、本業に専念する時期なのかも知れない。でも、別事業を止めるとなるとスタッフは抱えていられない。

私は悩み、逡巡し、会計士の先生と何度も相談を重ねた。そして身を削る思いで別事業をたたむ事を決めた。事業をたたむのは仕方ない。気になるのはスタッフのみんなのことだ。

別事業を止める、と決めた日の翌日の朝、事務所に行くと既にみみちゃんが出勤していた。

私はみみちゃんに包み隠さず事情を説明した。そして、3ヶ月後に業務を終えること、それまでに新しい仕事を見つけてほしいこと、それから、

「みみちゃん、私のブログ読んで共感してくれたから、ウチに来て今ココにいるのに、これから先は一緒に行けなくて、本当にごめん、ごめんなさい」

私は頭を下げた。もう悲しくてやりきれなくて、涙がこぼれた。

「頭を下げてくさい、そんなの、まこさんらしくないですよ」

顔を上げるとみみちゃんは笑顔だった。

「なんで泣くんですか、事情も分かりました。それは経営者として適正な判断だと思います。

ここにいる間、私、楽しかったですよ。まこさんはこれからも、がんばっていってくださいね?」

私はみみちゃんの手を握り、ごめんね、ありがとう、としか言えなかった。

みみちゃん以外のスタッフも、事情を説明するとすんなり納得してくれ、みんなウチの事務所に勤めているうちに次の新しい職場を見つけてきてくれた。

別事業は終わり、事務所はまた私とめぐみちゃんの2人になった。私は激務に追われ、毎日が目まぐるしく過ぎていった。

そんなある日、出先から事務所に戻ると、めぐみちゃんがデスクのパソコンから顔を上げて言った。

「おかえりなさい、みみちゃんからメール来てますよ」

「えっ、なんて?」

「今度、ホテルに勤めることになったそうです」

「えっ、接客業⁉︎」

「ええ、元気にやってるみたいですよ。まこさんは忙しいと思うので、めぐみさんにメールしました、まこさんによろしく伝えてください、ですって」

そうか、うつから順調に回復して元気にやってるんだな。私はうれしくなった。私もがんばらなきゃ。

それから数年後、私は病に倒れた。今度は私がうつ病になってしまったのだ。

病院で今すぐ休養を取ることを進められ、私は仕事を続けることが出来なくなった。

取引先に連絡を入れ、仕事は同業者に引き継ぎ、私は療養生活に入ることになった。めぐみちゃんは残務処理をしてくれた後、別の仕事を見つけた。

最後に会った時、めぐみちゃんはこう言った。

「ちゃんと治して帰って来てくださいね、まこさんの助けを必要としてるお客さんが待ってるんだから」

そして、うつ病の治療が始まった。

うつ病は私が想像していた以上に壮絶な病気だった。私はもがき苦しみ、絶望感の中で、みみちゃんのことを思い出す。

ーみみちゃん、私はうつの本を読んだりネットで調べたりして、精一杯理解しようとしたつもりだったけど、みみちゃんのこと、何も分かっていなかったよ。

今さらながら当時は不可解に見えた、みみちゃんの言動のすべてに合点がいく。

講演会などの人の多いところで調子が悪くなること、他のスタッフの女の子に「可愛いんだから、もっと明るい色の服を着たらいいのにー」と何気なくアドバイスされて口ごもっていたこと、話す時につかえることがあったこと、時折しんどそうにトイレに駆け込んでいたこと、あれも、これも、それも…

ーみみちゃん、こんな苦しい思いをしてたんだね。私、今、やっとみみちゃんの辛さが分かったよ。

私の病状はどんどんひどくなっていき、ついには自殺を考えるまでになった。飛び降りようとしたベランダでギリギリのところで思い留まり、ベランダのタイルの床にうずくまる。涙がタイルにぽとぽと落ちる。

ー死んじゃダメだ。みみちゃんはがんばって私のところに電話をかけてきたじゃない。勇気を振り絞って私に会いに来たじゃない。

だから、私も、死んじゃダメだ。生き延びて、治して、みみちゃんに、ごめんねー、うつ病やってみたら、すごーくヤバかったわー、私なんにも分かってなくて、ごめんねー、っていつか言うんだ。

私は絶え間なく忍び寄る、死の誘惑に耐えながら治療を続け、発病から5年を経てようやく小康状態まで這い上がってくることが出来た。

ひと息ついた今、また私は時々みみちゃんのことを思い出して考える。

以前みみちゃんは、私のブログを読んで、勇気をもらった、と言ってやって来た。

だから、もっと元気になったら、今度は私がみみちゃんに会いに行こう。「死ぬギリギリのとこで、みみちゃんから勇気をもらったよ」って伝えに行こう。

今度は雇用主とスタッフの関係ではなく、共にうつの闇を切り抜けたサバイバーとして、笑っておしゃべりできる日を、気長に楽しみに待とうと思う。