心の中の光と闇。どちらもあるのが自然だから、自分を責めないで。イライラする時もあるよ。

うつ病になる前の私は「いい人」だった。

自分で言うのもどうかと思うが、けっこう「いい人」だったと思う。怒らず、くじけず、思いやりがあって、優しくて、いつも笑顔。あんまりイライラしたりはしない人。

そんな、「いい人」の私だったのに、あろうことか、理不尽にもうつ病になってしまった。心が仮死状態になり、感情を失い、戻ってくるのにかなり時間がかかった。

戻ってきたけど、心の中は暗黒オーラに包まれ、負の感情で埋め尽くされている。

私、こんなにマイナス思考じゃなかったのに。

その思いは私をますます苦しめる。

それでも治療を続けることで、徐々にプラスの感情も増えてきた。現在の私は、うつの具合も小康状態になったし、脳の機能も体感で68%くらいまで復旧している。

小さな喜びも感じられるようになったし、笑うことも出来るようになった。

でも、負の感情も根強く残っている。折に触れ、それはヒョッコリ顔を出し私を動揺させる。特にイライラする自分に罪悪感を持つ。

「いい人」だった私は、前はこんなふうにイライラしなかったのに…と罪の意識を覚えるのだ。

そうなると、イライラより罪悪感のほうが心を占めてしまう。罪悪感を感じるのはとても苦しい。

それが少し気にならなくなったのは、先日の日曜日のことだった。

その日の私は、私のわりには早起きをして、免許証の更新に行った。

中に入ると大混雑。何これディズニーランドのアトラクション?と思うような、折り返しの行列が延々と続いている。

どれだけ待つのよ!?と思ったら、心底ゲンナリした。待ってもその先にあるのは楽しいアトラクションではなく、免許証1枚だ。ま、免許証は大事なんであるが、ジャンル的には、手に入れ「なければならない」という、つまらない用事である。

日頃、うつで家で静かに過ごしているので、人混みの中で待つことがとてつもない苦行に感じる。私は列に並びながら、付き添ってくれる身内にダルイ、疲れた、と文句を言う。

「仕方がないよ、順番だから。みんな待ってるんだから」

確かに仕方がないのでノロノロと進む行列に従う。でも私は待たされることにイライラする。

しばらく進むと、壁の掲示板に何やら占いのようなモノが貼られている。

近づいてみると「事故に合いやすい星座」みたいなタイトルで、星占いのように12星座のところにそれぞれコメントが書かれているモノだった。

あぁ、なるほど。安全運転を促すメッセージを、みんなに読まれやすいように星占い風にしてあるわけね。

私は大の占いギライであるのに、見れば読まずにいられないので、コレを作った人の思惑通り、ついつい自分の星座を探してしまう。

そしたら、

「ヤギ座の死亡事故率は第2位です」

っていきなり何!?  死亡率2位って怖いんですけど何!?

私はうっかり余計な情報を読んでしまったことを後悔する。そしてますますイライラする。

それでも順番はちゃんと回ってきて、なんとか無事に新しい免許証をゲットすることが出来た。

待ち時間長すぎて、変な占い読まされて、すっごくイライラしたけど、がんばれた自分が誇らしい。

そして、ふと思う。

がんばって成果があればうれしい。これは自然なことである。

ならば、
不快なことがあればイライラする。これもまた、自然なことなのではないか。

ではなぜ、以前の私はイライラしなかったのだろう。

うつの病前病後で私の感受性が大きく変わったわけではない。今のほうが脳の認知機能は落ちていると思うので、どちらかと言えば、以前より感受性は下がっているだろう。

それでも今、何か不快なことがあった時、イライラを感じるということは、私には、もともとイライラを受信するアンテナが付いていたということである。

と言うことは、

病気の前の私はイライラしなかったのではなく、そういった感情すべてに背を向けて、気づかぬフリをしていただけだったのだ。

自分の心から発されたSOSを「既読スルー」して、いやいや私、そんなマイナスの面は持っていませんよ、という体裁を「自分自身」に対して取り繕っていたのだ。

マイナスの感情を持つ自分をカッコ悪いと思ったから? ポジティブな人でありたいと願ったから?

なぜそうなったか、いつからそうなったかは、もう分からない。でも今思えば私は「いい人」だったのではなく、無意識に、全力で「いい人」をやっていただけだったのだ。

「いい子ちゃんでいよう」とするあまり、知らず知らずにずいぶん心に無理をさせていたのだ。

今の私はイライラする出来事があれば、きちんとイライラする。何もないのにイライラはしないので、これは正常な反応だ。

本当の私は、イライラしたり意地悪なコトも考えたりする、闇の一面も持っていたのである。

でも、病前の私は勘違いしていたけど、それは悪いことではない。

人の心の中には光も闇も、どっちもあって当然。

だって人間だもの。(by みつを)

自分がイライラしていることにちゃんと気づかないと、それを労わるケアが出来ない。悪いコトを考えることが出来なければ、善悪の判断を付けることが出来ない。痛みが分からなければ優しくできない。

人の心には、光と闇、どちらも必要なのだ。大事なのは光と闇のバランスなのだ。

なので、「私はこんなにイライラしてダメだな」とか「意地悪なことを考える私は悪いヤツだ」とか、自分を責めるのはあんまり意味がない。

それよりも、その時の自分の気持ちをちゃんと受け止めて、対処してあげることのほうが大事なのだ。

最後に、心の中の光と闇について。

人は、っていうか私は、どうせなら人生は光の方をより多くしたい、と考えてしまうが、光を感じるためには暗いところにいかなければならない。光の中で光は認識しにくいからだ。

昼間の明るい場所ではライトの光も霞んで見えるが、真っ暗闇では1本のロウソクの灯りが、こうこうと輝いてみえる。

光があるからこそ闇は際立つし、闇があるからこそ、光もまた際立つ。

そして、うつ病は、暗闇の中をさまよい生きて行くような病気だ。

そこに一筋の明かりを見つけたら、どんなに安心することか。

暗闇の中で見つける光の尊さはかけがえのないものと感じることが出来る。

うつ病患者さんは、うつ病という大きな犠牲を払った代わりに、小さな光でも大切に感じることが出来るステータスを手に入れたのだと思う。

うつの闇に苦しむ、すべてのうつ患者さんに優しい光がもたらされますように。