うつ病になったら、人の多い場所が苦手になった。
病状は小康状態になってきたけど、身内の付き添いがないと、混雑した場所には1人で出かけられない。まだまだ人混みが苦手だ。
人混み、と言えば一番に思い出すエピソードがある。
病気になる前、私は友人とJR名古屋駅のコンコース内、高島屋のエスカレーター前の時計台で待ち合わせをした。
その時まだ私は気づいていなかったが、既にうつの初期症状が身体に出始めていて、体調があまり良くなかった。おまけにその日の名古屋駅はとても混雑していて、人混みの中を歩くのが少し辛かった。
待ち合わせ場所に着くと友人はすでに来ていて、少し具合の悪そうな私を見て、
「大丈夫?」
とたずねた。
「うん、大丈夫。人混みでちょっと疲れたのかも」
そう答えると友人は一瞬、複雑な表情をした後、しばらく間を置いて真面目な顔でこう語った。
「ちょっと言わせてもらっていい?
ひとごみ、って言うけど、このたくさんの人達は、みんなそれぞれの人生がある、1人1人が大切な人なの。
ものの例えだとしても、それをゴミなんて言ったらダメだよ。私はそういうネガティブな言葉を使うの、キライかな」
と、いきなりの上から目線で諭された。
一瞬ポカンとした後、私はゲラゲラ笑い出してしまった。
…あぁ、彼女の頭の中では「人混み」が「人ゴミ」と変換されているのね。
人をゴミだなんて思ってないよ。そんなこと思うのは「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐くらいだよ。
笑う私を不審な顔で見る友人に、字を書いて説明したら、「えぇっ!」と言ってとても驚いていた。
その日私に指摘されるまで、ずーっと「人ゴミ」だと思い込んでいたらしい。そして誰かが「人混みが」と言うたび、「人をゴミ呼ばわりするなんて!」と苦々しく思っていたらしい。
で、ついに友人である私が口にしたので、「これは、ひとこと言わねば!」と決意しての発言だったらしい。
友人はお茶目だけどバカではない。フリーランスで一人前に仕事をする働く女性だ。
でも、人混みの件は、遠い昔に聞いた言葉を人ゴミだと勘違いし、その日までずーっとそのままで来てしまったらしい。
耳で聞いたことを誤変換した、思い込みによる誤解だ。
誤解といえば先日、スペイン映画を見ていたら、チョイ役で日本人の家族が登場していた。スペイン人のおじさんが、その日本人家族についてこう語る。
「あいつら中国人は、本当に魚臭いんだ、魚をさばいて生で食べるんだぜ」
日本人家族は日本語で話すシーンがあったので(その部分には英語の字幕が出た)、日本人なのは間違いないのだが、スペイン人のおじさんは中国人だと思っている。おじさんの話を聞いていると中国、日本が混ぜこぜだ。東洋、というくくりで全部いっしょくたになっている。
その映画を私が見ているということは、この誤解は登場人物のスペイン人のおじさんだけの見解ではなく、監督から製作スタッフに至るまで、みんな日本とか中国をこんな感じのアバウトさで思っていて、公開GO!になったということである。
スペインくらいの遠さから見ると、この辺のアジア人はひとくくりで適当なイメージで思い込んでいるんだなぁ、と思った。
また、映画つながりで、私も映画のせいで長いこと誤解していたことがある。
私はビンゴのジャッキー・チェン世代である。小学生の頃見た「酔拳」で、修行に励み、派手なカンフー・アクションを繰り広げるジャッキーは、それはもうカッコよく見えた。
若かりし日のジャッキーはアクションだけでなく、バッキバキのナイスバディで、顔も本当にカッコよかったので、私はテレビに釘付けになった。
ジャッキーの映画は、コミカルなところもありながら、鮮やかに決めるアクションシーンが見どころである。
マイベスト・ジャッキー映画を選ぶなら「酔拳」「プロジェクトA」「ポリス・ストーリー/香港国際警察」。
さて、この一連の流れで、私は間違った思い込みをしてしまう。主役のジャッキーに目を奪われているようでありながら、物語の舞台である背景が、小~中学生の私の中に無意識にインストールされていったのである。
「中国ってこんなところなんだ」
当時の私の中国のイメージは、ほぼジャッキー映画のみによって作られていた。ジャッキーのは香港映画なのに。
そもそも「酔拳」は19世紀後半が舞台で、「プロジェクトA」は20世紀初頭のお話。「ポリス・ストーリー」は、現代っぽいが、スラム街を車で突っ切るシーンが出てくる。
私の中の中国は、それらをごっちゃにして作られたものだったから、20代後半の時に初めて中国へ行って、普通に現代的なことにかなり驚いた。大変失礼ながら、私は間違った思い込みをしていたのだ。
日本から中国くらいの距離でこんな間違った認識を持ってたんだから、それを思えば欧米の人が日本人は生魚ばかり食べて、ちょんまげの人もいて、みんなが着物を着て街を歩いてて、みんな武道の達人で、変なお辞儀をするとか誤解してても仕方ないよね。
そう、そんな風に人はよく知らないものを適当にイメージし、そういうものだと勝手に思い込むのだ。
思い込みは、知らないうちに刷り込まれ、実際と違う先入観や固定観念を生む。
なぜ思い込みが起きるのだろう?
私は脳科学者でもないし、精神科医でもない。ただの無職の専業うつである。学は無いが時間だけは死ぬほどあるので、なぜ思い込みが起きるのかを考える。
そこで自分なりに出した考えを述べてみるが、
たぶん人の脳は「分からないこと」を本能的に嫌い、適当なイメージで分かったつもりにして、仕分けして整頓する習性があるのでは?
分からないデータがあると、分類できずに宙ぶらりんの状態になるので、脳は戸惑う。そこで適当なラベルを貼り、分類して片付ける。
そしてたぶん脳の中で一度片付けられてしまうと、そのデータを再確認する出来事が起きない限り、そのデータの情報をアップデートするのは難しいのだ。
自分で自分の中の思い込みを見つけるのは難しいが、機会が訪れた時、自分が思い込んだ情報が正しいのかは今一度、確認したほうがいいのである。
間違った思い込みは修正すべき。
誤解は正すべき。
そういうふうに話を持ってきて何が言いたいのかと言うと「世間の皆さんが思い込んでいるうつ病のイメージ」について、ですよ。
うつは甘え? 心の風邪? 心が弱い人がなる病気?
NO、NO、NO、NO、
違いマース。
うつ病になると、人生が超ハードモードになる。
でも、うつ病の大変さは、「心の風邪」やらのせいで軽んじられ、たいしたことのない病気、と思い込まれている。
だから、健康な皆さんに告ぐ。
この文を目にしたら、せっかくの機会なので、皆さんの中の「うつ病」の情報をアップデートしてほしい。
最近のうつのことを書いた本や漫画や映画は、素晴らしいものがたくさんある。
それに、うつ病は誰がなってもおかしくない病気だ。あなたがうつ病にならないという保証はどこにも無いのだ。だから知っておいて損は全然ない。
そしてもし周りにうつ病の人がいるのなら、知識を得て、理解してあげてほしい。
理解されること。
それは、誤解の多いうつ病を患う者にとって、本当にありがたいのだ。