涙はうつの緊急シグナルかも。死にたい、消えたい、帰りたいと泣いた日々。

今になって考えて見れば、私はもともとうつ病の素質があったのかもしれない。

時々、気分の上下があって、ちょっとヤル気が出ないなーということはあった。でも、そんなのは誰にでもあることだ。だから私は気にせずスルーして過ごしていた。

うつになる前の私は、陽気で社交的なタイプだったので、スルーしていればそのうち平常運転に戻ることが出来たのだ。

そんなわけで私は、陽気に社交的に、愉快で充実した日々を過ごしていたが、知らないうちにうつ病になる要素がリーチになっていたようである。そこにダメ押しの大きな出来事が起きて、私は完全に詰んだのである。

だから私は、いつの間にかうつ病になったのではなく、ここからうつ病が始まっていったという日を認識している。

(私がうつ病になる決定打になった出来事については、また改めて書こうと思うが、長くなってしまい今日の本題からはそれるので、それはまたの機会に)

ともかく、その日から1ヶ月の間で急速に、私は普通の人から重度のうつ病患者へと落ちていった。

私は体調がズルズル崩れていった。なんだか体がダルい。頭痛がする。立ちくらみがする。食欲もない。

大好きな仕事もやる気が起きない。取り掛かっていた仕事のファイルを開いたまま、ボーッとパソコンに向かい、気がつくと時間だけが過ぎている。読まなければいけない書類の数行だけを繰り返し読んでいることに気づいてハッとする。

そして、やけに涙ぐむようになった。誰かからの優しい言葉や、ささいなことで涙が出る。

なんかおかしいな、と思いながらも、無理矢理自分を奮い立たせて毎日働いていた。私の中にうつ病が発生したと思われる日から、2週間ほどが過ぎていた。

そんなある日、私は仕事の途中に友人のやっているカフェに立ち寄った。居心地のいいカフェで、私はお気に入りの席に座り、アイスコーヒーを頼み、ポーッとしていた。

店内にはずっと静かにBGMが流れていたが、突然1曲のメロディがハッキリと耳に飛び込んで来た。気がつくと、私はボロボロ泣いていた。

洋楽なので、英語がまるでダメな私には、歌詞の内容は全然分からない。だから、言葉に反応したわけではない。でも懐かしいような囁くようなメロディと歌声に涙が止まらなくなったのだ。

ハンカチを取り出して涙を拭う。それでも涙は止まらない。ダメだ、泣けてくる。おかしい。

「えっ、どうしたの? 大丈夫?」

アイスコーヒーを運んで来た、カフェオーナーである友人が泣いている私を見て驚く。

「うん、大丈夫、大丈夫。このかかってる曲、なんて曲?」

「タイム アフター タイムって曲。今かけてるのはエブリ・シング・バッド・ザ・ガールのアルバム。元歌はシンディ・ローパーで、それをカバーしたもの。そんなに感動した?」

違う、違うのだ。私の心と、この溢れ出る涙は一致していない。

結局、しばらく涙は止まらなかった。

突然の涙は、本能的に心が発するうつ病襲来のシグナルだ。なんでもないのに泣くのは、やっぱりおかしい。

だいぶん後になって「タイム アフター タイム」の歌詞を検索したら、内容は恋人同士の歌なのだが、綴られた言葉は、まるでそれから起こる苦難に向かう私に与えられたメッセージのようにも受け取れる。

If you’re lost you can look
and you will find me

もしあなたが自分を失いかけても
私を見つけられるわ

Time after time

何度でも 何度でも

If you fall I will catch you
I’ll be waiting

あなたが倒れても私が受け止める
私はずっと待っていてあげる

Time after time

何度でも 何度でも

ーTime After Time

もし、神様がいるならば、この歌が流れているタイミングで私に涙を流させることで、私の未来を示唆していたのかもしれない、と今になって思う。

私はこのへんで見切りをつけて病院に行くべきだった。でも私はそれも見送り、さらに2週間がんばった。そして、ある日曜日のことである。私のうつ史上に記録されることとなる、靴下事変が勃発する。

平日の私はスーツか、ワンピースにジャケットというスタイルだったので、普段は毎日ストッキングを履いていた。でも休日はリラックスして過ごしたいので、カジュアルな格好をする。だから日曜日の今日は、靴下の日なのだが、靴下がどうやっても履けないのだ。

靴下の入っている引き出しが、まず開けられない。へどもどしながらなんとか引き出しを開けても、靴下を選んで取り出し、履くことが出来ない。普段なら意識すらせずに出来る、当たり前のことが出来ない。

靴下が履けない。

混乱して取り乱すが、どうやっても靴下は履けない。気がついたらどうしていいか分からず、裸足で号泣していた。1人で声を上げて泣いていた。涙が止まらなかった。

ここまでくると、涙は緊急のシグナルというレベルを通り越している。

私はおかしい。それもかなりヤバイ。

不安に恐れおののいた私は翌日、月曜日になるなり病院に行き、診断を受け、ついに宣告される。

「重度のうつ病ですね。仕事を休んで休養してください」

たった1ヶ月で、私は普通の人から重症のうつ病患者になってしまったのだ。

私は自分で個人事務所を開いていたので、仕事先の関係各所に連絡をして、事務所を休業にし、休養に入った。

休みになったとたん、私の思考は停止し、パタリと寝付いてしまった。思考が停止して何も分からないのに、涙がこぼれて枕を濡らす。

半年が経ち、少し考えたり出来るようになると、今度は、「死にたい」「消えたい」「帰りたい」と言って泣いて過ごすようになった。

帰りたい、と言っても自分の家にいるので、どこに帰るの?って話なんであるが、当時はよくそう言いながら泣いていた。

混乱し泣いて苦しむ私を見て、家族もまた、すごく苦しかったと思う。

泣いているうちに恐怖が込み上げて来て、いつの間にか私は泣きながら悲鳴を上げてしまう。

家族に抱きとめられて、

「ごめんな、ごめんな、何もしてやれなくて、本当にごめん」

と何度も謝られた。謝らなくてはいけないのは、こっちなのに。そう思うとますます悲しくなり、私はまた泣いた。

たぶん人生の中で、流した涙の90%は、うつ病になってからの期間に集中していると思う。

無意識に涙を流すという行為は、うつ病のシグナル? ーその可能性は多分にある。それもかなり差し迫った状態である。

なんで泣いているのか分からないのに涙が出る。涙もろくなった。それに加えて体調不良があれば、一刻も早く、病院に行くことをオススメする。1週間、病院に行くのをためらって先伸ばしにしたために、その1週間で急速にうつ病が悪化するかもしれないのだ。悪化すればするほど、うつ病の治療期間は長くなっていく。

涙はシグナルだ。だけどシグナルだけに留まらず、うつはうつ病になった患者を泣かせにかかってくる。

「どれだけでも泣くがいいさ、ほら泣けよ、もっと苦しんで泣け、声が枯れるまで泣け」

うつは私を苦しめ、泣くのを待っている。

でも、うつ病が少しずつ良くなってきた私は、笑うことで対抗している。

どうせ涙を流すなら、笑い過ぎて泣けてくるとか、感動して泣くとか、うれしくて涙がこぼれる、っていうのがいいよね。

そういう涙をうつは嫌う。だから私はうつの嫌がることをして、うつの呪縛から脱出するのだ。