「君は見ているよ、しかし観察をしていない。その違いは明らかだよ」
これは、かの有名な名探偵、シャーロック・ホームズが、相棒のワトソンに言った言葉である。
ある日ホームズの名推理に感銘を受けたワトソンが、ホームズにこう言う。
「君の推理は実に鮮やかで、過程を聞くまで僕はまったく気がつかない。僕の目は君と同じように良いと信じているのだがね」
それに答えたのが、最初に書いたホームズのセリフだ。
続けてホームズは、彼らの住んでいる家の階段についてワトソンにたずねる。
「うちの階段を見ているかい?」
「何百回と見ているよ」
ワトソンが答えるとホームズは重ねて質問する。
「じゃぁ、階段は何段ある?」
ワトソンは答えられない。
「そこだ! そこなんだよ! 階段は17段だ。僕は知っている。なぜなら僕は観察しているからね」
見ているだけではダメで、観察することが重要なのだよ、とホームズは言っているのだ。
「観察する」とは、だいたいの場合「考える」とセットになっている。
「お風呂たまったかどうか見てきてー」
「メール便届いてるかどうか見てきてー」
こう頼まれたら、ただお風呂やポストを「見てきたよー」だけでは役立たずなのである。言われた通りなので間違ってはないが、正解でもない。
この場合の「見る」とは、お風呂ならバスタブにお湯がいっぱいになっていたらお湯を止めるということであるし、メール便ならポストを覗き、届いていれば取ってくる、ということである。
ホームズまで行かなくても、私たちは意識せず目に映るものを観察し、考え、それによって日常生活を送っている。
曇り空を見て傘が必要かな、と考えて折り畳み傘を持って出かけたり、空や山々を染める夕焼けを見て、美しいと感じたりする。
小さな子どもが1人で泣いているのを見れば、迷い子になったのかな、と心配したり、電車で真正面に足を広げて座った、サングラスにピアスジャラジャラのジャージのお兄さんを見て、怖い、と思ったりする。その怖いお兄さんがお婆さんに席を譲ったりなんかすると、何かいいものを見たような気持ちになったりする。
SNSでシェアされた可愛い子猫の画像を見て癒されたり、ステキな盛り付けの料理を見れば、みんなにも見せたいと思い、SNSにアップしたりする。
ハートフルなコメディ映画を見れば、笑ったり感動して泣いたりするし、サスペンス映画を見てドキドキしたりもする。
人は見ているものを観察することで考え、行動したり、感情を持ったりするのだ。
ところが、うつ病になると、ホームズが否定した通りの状態になってしまう。
まさに「見ているが観察していない」。
心の風邪とか軽く見られがちだが、うつ病になると、脳に機能障害が起こり、思考能力がダウンする。見ているものは見ているだけで、そこから何かを感じることはない。何かを考えることもない。感情が湧くこともない。興味を持つこともない。
ただ、目に映るだけ。
ユーミンは「目にうつるすべてのことはメッセージ」と歌ったが、うつ病がひどいと、目に映るすべてのことは、ただ映るだけで通り過ぎていく。
どんな美しい風景を見ても感動しないし、何も分からない。部屋が散らかっていようが、片付いていようが、何も分からない。
映画「カリオストロの城」のラストで、ルパンについて行きたいというクラリスを、なぜルパンが抱きしめかけてやめるのか、意味が分からない。
目に見えるものも分からないくらいなので、心の機微、思いやり、嫉妬、葛藤、愛情など、動作や表情で表現される目に見えないものは、ますます理解できないのだ。
私の目は見たものをただ映すだけのガラス玉となり、見たものをスキャンして理解するということができなくなってしまった。
その状態の頭の中を最悪の気分と不安と恐怖が真っ黒に染めていく。
見ているけど、何も見ていない。
頭の中は真っ暗闇。
そこから脱出するには薬と時間が必要だ。脳が壊れているので、修理をしなければいけないのだ。修理には時間がかかる。薬なんて効いてないんじゃないかと思うくらい、時間がかかる。
でも、暗闇の中でもがくうちに、薬と時間が、いつか光をもたらしてくれるのである。最初はぼんやりと、そのうちに一筋の明かりが差し込んでいるのに気づく。
光は日を追うごとに徐々に明るさを増し、ガラス玉になってしまっていた目に、ある日、力が宿る。
アレ? 見える。
見えるし、分かるし、気づく!
部屋は散らかっているし、棚にはホコリが積もっていることに気づく。自分が髪の毛ぼさぼさでジャージを着て、みっともないことに気づく。テレビを見て痛ましいニュースに胸が痛むことに気づく。ルパンがクラリスを抱きしめなかったのは思いやりだと気づく。窓を開ければ青い空が広がっていて、なんとなく気分がいいことに気づく。
今まで見ていても、見えなかったことが、見えてくる。
そして、うつの第1難関を通り過ぎたのかもしれない、と気づく。
朝起きて、静かに本を読んで過ごし、ふと時計に目をやると、「11:11」と表示されていて、なぜかラッキーな気分になる。
コンビニに歩いて行く途中、昨日までツボミだった花が、美しく咲いていることに気づき、それを見て今日は何かいいことありそう、と予感する。
「目にうつるすべてのことはメッセージ」
やっぱりユーミンの言うことは本当だな、と気づく。