病院から帰るタクシーの中で気がついた変化。運転手さん、ありがとう。

うつ病の私が、唯一約束をして出かける用事、それは病院である。

出かけるのは億劫であるが、私は一刻も早く病気を治したいので、これだけは真面目に、せっせと病院に通っている。

今日も午前中、病院に行って診察を受け、薬局に立ち寄って薬を貰い、タクシーに乗って帰ってきた。

今日は朝から寒く、あまりよくないお天気だったが、タクシーに乗ってしばらくすると、パラパラとあられが降ってきた。

クルマの窓に当たって跳ね返る小さな氷の粒を見て、あ、あられだ、と思っていると、年配の運転手さんが突然、

「あ、あられですね。僕はおせんべいのほうが好きなんだけどなぁ」

と言った。

私は一瞬の間を置いた後、あらやだ運転手さんたら面白い、という空気を出して、

「ウフフフフ」

と声に出して笑った。何故声に出して笑ったのか? それはハンドルを握って前を向いている運転手さんに、後ろから、今の面白かったですよ、と伝えるためである。私は今、このタクシーの中という密室空間を気まずくしないために、愛想笑いをしている。

笑いながら気づいた。愛想笑いは、非常に高度な感情表現である。運転手さんに気を使いつつ、特に面白くないけど笑っているのだ。

うつ病になったばかりの頃の私は、脳が思考停止してしまい、感情をほとんど失ってしまった。恐怖と不安を本能的に感じるだけで、うれしい、とか楽しい、面白い、といった感情は一切感じることが出来なくなった。当然、笑うことも一切出来なくなった。

何かをしようとする意欲も、ほとんど失われてしまった。

そんな状態であるから、誰かを気遣うことなんて出来ない。相手がどう感じるのかとか、相手がどんな気持ちなのかなんて、全然分からない。自分のことすら分からないのに、相手のことなんて分かるはずがない。

そんな状態から少しずつ少しずつ思考する力を取り戻し、感情を取り戻し、1歩1歩歩いてきた。

それが、今やどうだろう。運転手さんがダジャレを言ったことを理解し、運転手さんの気持ちを考えて、状況を把握し、声を出して分かるように愛想笑いをしている。

たったそれだけのことだけど、これが出来るようになるまで、私は5年以上の月日をかけてきたのだ。

私、今、ちゃんと笑ってる。

そう思ったら本当に愉快な気持ちになって、笑い続けた。

私が笑うことに運転手さんは気を良くしたのか、

「あられとひょうはね、サイズが違うだけでおんなじもんなんですよ」

と、豆知識を披露してくれ、

「ひょうが降ってきたら、うひょー、なんてね」

と、ダジャレを被せてきた。

私はまた笑い、運転手さんはご機嫌になった。運転手さんも私に気を使ってくれ、薬局から私を乗せたことを覚えてくれていて、タクシーを降り際に、

「お大事にね」

と声をかけてくれた。

運転手さんの笑いのセンスと私の笑った理由は違ったが、結果どちらもウィンウィンで楽しい時間が過ごせたのでよかったと思う。

今日はあられが降るほど寒い日だが、心は少し暖かくなった。