うつ病の治療には、適切な投薬と、休養が欠かせない。
適切な投薬はお医者さんに任せるしかないが、休養は自分の意識も大切である。
もし、横になって休んでいたとしても、仕事のことや、悩み事を考えてくよくよしているうちは、それはきちんと休養出来ているとは言えない状態である。
私はうつ病歴5年の専業うつであるが、その半分くらいの時間をきちんと休養出来ずに過ごしてしまった。
こんなふうに横になって休んでいていいのかとか、世間の皆さんは働いているのに、自分はただ休んでいるだけで申し訳ないような、情けないような、泣きたいような気持ちになる。
でも、そんなことを考えているうちは、全然うつ病の休養にはなっていないのである。それよりも全部あきらめて、おとなしく休養を取ったほうが、早くうつ病から脱出出来るのだ。
それは例えば、ごはんが炊ける前のジャーを開けてはいけないくらいの感じ。炊き上がりましたよ、のピー音がなる前に、心配して何度もジャーのフタを開けると、うまくごはんが炊き上がらない。
同じように、うつ病が良くなる前に心身ともにアレコレしてはいけない。
もう、治療する以外のことを全部あきらめる。ジャーに米と水をセットしたら炊けるまで待つ。触らない。
そのくらい、浮き世のことはひとまず置いておいて、生産的なことは何もせず休む。うつ病の休養とは、そういうもののことである。
さて、そうした休養を取れるようになり、状態に合った薬を飲むことによって、うつ病はじわじわと回復してくるのだ。
でも、そこからがまた長いんである。
うつ病の回復は一進一退である。昔の歌で「3歩進んで2歩下がる」という歌詞があったが、うつ病の回復は、例えば1ヶ月かけて3歩進み、1日で2歩下がる感じである。
この1日で2歩下がった時のガッカリ感ときたら。
山あり谷ありしながらも毎日コツコツと2.7、2.8、2.9、と来て、3歩進んだ! なんか調子いいかも⁈ からの1.0である。
でも、0から考えると1.0までは進歩したわけなのだが、2.7台超えくらいが続いていたところで1.0に引き戻されるのは、本当にウンザリする。
私は人間が出来ていないので、
「この病気になったことで、自分が成長出来たと思います」
とか、
「神様は乗り越えられる試練しか与えない、と言いますが、私は試練を乗り越えたいと思います」
とか、
「苦しい時もありました、でも挫折が私を強くしてくれました」
とかは死んでも思わない。思うのは
「もう勘弁してくれよ!」
だけである。
そんなふうに、少し良くなったりガッカリしたりを繰り返しながら、ただひたすらうつ病の苦しみから浮上出来る日を待つ。
そうこうしながらも、わずかではあるが徐々に良くはなっているのだ。1ヶ月とかだと全然違いが分からないけど、1年前と比べたら、確実に良くなっていると感じる。
海底から一歩ずつ歩みを進めて、いつか海面から浮上する時を心待ちにして、今日も私は右往左往している。
そしていつか、うつ病から抜け出せたあかつきには、知らん顔でこう語ろうと思う。
「うつ病が、私をひとまわり成長させてくれました」