病気になる前の30代後半の頃、私は広告業界でフリーの広告プランナーをしていた。
仕事の内容は多岐に渡ったが、その中のひとつに、企業の販売促進を企画するプロジェクトチームのアドバイザーとなり、企画会議をリードしたりアシストしたりする、という仕事があった。
その日もある企業の会議に参加し、いったん休憩、となった。オフィスの片隅に設けられた喫茶スペースで、私は会議のメンバーの社員さん達とコーヒーを飲みながら談笑していた。
社員の若い女の子達は、社外から月2で出向してくる私のことが珍しいらしく、それはそれは持ち上げてくれ、
「松桐谷さんて、仕事も出来るのにオシャレで~、憧れます~。そういうアラフォーになりた~い」
とか、
「お洋服とかは~、どこのブランドですか~? 同じの買って真似していいですか〜?」
などとお世辞を言って部外者の私をおだててくれるので、
「あら、そんなに褒めても何にも出ませんよ〜、ウフフ」
と満更でもなく調子に乗って答えていたところ、会議では口数の少ない20代新人社員のNくんが、
「俺も話に入っていいすか?」
と言ってきた。続けてNくんは、
「松桐谷さんのこと俺、仕事の進め方とか、目の付け所とか、圧倒的でスゲーなーって、マジ尊敬してるんすけど、
自分の女がこんな感じだったら絶対無理っすわ。やー、マジ無理っすわ。
何でも出来るタイプの女って逆に可愛げないすわー。がんばり過ぎっすわー。こんなこと言ってすんません、でもやっぱ無理っすわー」
と、申し訳なさそうな笑顔で言い切った。
なごやかな雰囲気に、いきなりのメガトンパンチである。
ベタ褒めされたかと思ったら、15以上も年下の若者に「俺の女だったら」という訳のわからない尺度でディスられたあげく、告白もしてないのに振られたんである。
てか、その前にビジネスシーンでそのしゃべり方どうよ。
ここでコメントするなら「黙れ小僧!(声:美輪明宏)」かな、と心の中で思ったら私が何か言う前に、女の子達が、
「ちょっと、何言ってるの!? 失礼だよー!」
「ありえなーい!」
とNくんに抗議をしてくれたので、私は苦笑するだけに留めた。その後すぐに会議が再開されたので、その話もうやむやになってしまった。
あれから6年。
今や私はうつ病歴5年目の専業うつである。薬の副作用でぽっちゃり太り、流線型のフォルムが未来的なおばちゃんになっている。グレーのジャージに髪はボサボサ。
お世辞でも憧れの存在と思ってもらえた私はもうドコにもいない。仕事どころか、普通の生活さえもやっとやっと、という感じで地味に暮らしている。
最近ふと、Nくんの言葉を思い出し、あの頃の自分がいかに「がんばっていた」か、そして、いかに「がんばっていることに気づいていなかった」か、を改めて思った。
うつになった今だから分かる。あの頃の私は、とてもがんばっていた。
自分で始めた仕事は、面白くて仕方がなかったし、連泊の出張も徹夜も、辛いとか面倒だと思ったことは一度もなかった。小学生が「早く寝なさい!」と叱られても、いつまでもゲームをしていたいのと同じように、私もいつまでも仕事をしていたいくらい楽しかった。
でも、仕事だけをがむしゃらにがんばっているのは魅力的じゃない。そう考えた私は、自分磨きにも手を抜かなかった。ヘアサロン、ネイルサロン、エステ。自分をブラッシュアップするのはとても楽しかった。
ステキな私は当然、暮らしぶりもステキでなくてはいけない。私はコーディネートされたスッキリとした家に花を飾り、季節のデコレーションを施した。
料理を作ることも好きで、家にいる時は毎食5〜6品のメニューをテーブルに並べた。ステキライフを維持するためには必要なことだから、家事も楽しくて苦にならなかった。
休日とは、レジャーのためにあると思っていた。身体を休める日だなんて思いつかなかった。だから、休みの日もフルで予定を入れていた。
…もう、こう書いていて、痛くて恥ずかしくて許しを乞いたくなってくるらい、私はがんばり過ぎていた。
生活のどこを切り取ってFacebookに上げても、「ステキな私☆」がアピールできるようながんばりぶりである。
がんばるのは良いことだ。でも私の問題は、楽しくて、がんばり過ぎていることに「まったく気づいていなかった」点である。そして気づいていないからこそ、きちんと休養を取らなかった点である。
心のコンディションとエネルギーの消耗は別物と考えたほうがいい、
と、一度壊れて今も修復中の私は思っている。
心のコンディションが良いと、私にはまだエネルギーがある、と錯覚してしまう。
エネルギーを知らないうちに使い切ってしまえば、充電切れになってしまうのは当然のことなのだ。
例えていうならスマホ。夜のうちに充電しておいたスマホは、朝、充電100%になっている。でも使っているうちに充電は少しずつ減ってくる。
そして誰かと長電話をしてさらに10%減るとする。その電話の内容が、恋人とのラブラブトークだったとしても、イヤな上司からの叱責だったとしても、どちらも電池は10%消耗するのだ。
恋人からは元気をもらえるけど、イヤな上司からはマイナスオーラしか受け取れない。でも、それは心のコンディションであって、自分のエネルギーが長電話という行為によって10%消耗したという事実は変わらないのである。
さらにスマホで動画を見て、さらに30%減るとする。感動のヒューマンドラマを見たとしても、バッドエンドのスプラッタホラーを見ても、鑑賞後の心のコンディションは全く違うが、30%消耗した事実もこれまた変わらない。
自分自身のエネルギーは、心のコンディションと関係なく、時間や使用頻度によって、スマホと同じように電池を消耗していくのである。
そのことに気づかなかった私は、楽しくて充電切れに気づかず、がんばり過ぎてしまっていた。その状態にある日別の要素が加算されたことで、私はうつ病になってしまった。
がんばり過ぎがすべての原因ではないが、うつ病になる下地を作った要因のひとつかもしれないと思っている。
がんばるのはよいことだ。でも、がんばった時は、自分でそのことに気づいてあげなければいけない。でないと、充電や休息など、自分をケアすることが出来ないからだ。
今の私は、病前のがんばり過ぎのツケを払うため、自分を労りながら生きている。グチャグチャの部屋で、グレーのジャージを着て、髪の毛ボサボサのままで、「今はがんばらない」 をスローガンに生きている。
さて、そんなことを考える元となった冒頭の新人社員Nくんは、今はアラサーになっているはずだが、どうしているかしら。
あの時、Nくんにはパンク寸前の私が見えていたのだろうか。それとも単なる無礼者なだけで、相変わらず周囲をヒヤヒヤさせているんだろうか。
あの頃より大人になったNくんが、今どうなっているのか、ちょっと気になる。