うつ病の治療には服薬が欠かせない。薬のおかげで回復できるのだが、薬には効果がある代わりにリスクもある。
それが「副作用」である。
私は5年もうつ病をやっている専業うつなので、それはもう様々な副作用を体験した。
うつ病の治療は先生により投薬方法が違う。なので出てくる副作用も違ってくる。
以前かかっていた先生は、薬に薬を重ねていくタイプで、通院の月日が経つにつれ、もはやこれは薬を飲むとかじゃなく、薬を食べていると言えるのでは?という量になってきた。
当然、副作用もひどく目まいや立ちくらみに始まり、頭痛や身体の痛みが起こる。特に身体の痛みは尋常じゃなかった。
杖やカートに掴まっていないと歩けないくらい身体が痛い。内科や外科の病院で診てもらったが、どこにも異常はない。内科や外科の先生は、どこも問題ないので、うつ病の薬の副作用によるものと考えられますね、と言う。
でもうつ病の薬を減らすとうつ状態がひどくなる。あまりの痛みに耐えかねて、ペインクリニックに行こうかと考えたこともある。もうこうなってくると、うつ病より副作用のほうがキツいんじゃないか、と思うレベル。
その話は、いかに私がひどい目にあったか、可哀想な目にあったかをこんこんと語り、皆さんの同情を引きたいので、いつか別の機会に改めて書く。
また別の先生に診てもらっている時、薬を飲んだら身体中にじんましんが出たことがあった。先生はすぐに服薬を中止するように言い、別の薬に変更した。後から聞いたら、そのまま投与し続けると稀に死んでしまう人もいるらしい。副作用って怖いね。
今の先生には私の体調を診て、最小限の薬で済むように調整してもらっている。それでも副作用は出る。
今の私は、のどがやたらと乾くのと、手が震えるという副作用が出ている。
手が震えているのは箸を持つと良く分かるが、それでもなんとか使えるので問題ない。豆とかの細かいおかず、パラパラに炒めたライスなど、箸でつまみにくいような時は、迷わずスプーンを使うようにしている。
手が震えると、コップで水を飲む時も注意が必要だ。コップを持つ手が震えて中身をこぼしてしまうので、両手を添えて持たないといけない。
後、困るのは文字を書く時だが、私のように社会とほぼ隔絶して生きていると、字を書くことなんてほとんどない。病院に行くときのタクシーで、クレジットカードのサインをするくらい。この時は速書きで記名して、達筆そうな気配を出してごまかしている。
…とアレコレ副作用について書いてきたが、今日の私が一番お伝えしたいこと、それは、
「副作用と言えば、うつ病の薬は太るヤツが多い」
ということである。
先生が変わっても、薬が変わっても、過食、太るという副作用は付いて回るのだ。(私の場合ね)
うつ病の治療を受ける前の私は、華奢なスレンダーナイスバディだった上に、うつ病の症状で食が細くなり、さらに痩せていたのだが、今やベスト体重から15kgも増加し、昔の面影は跡形もない。
食べないようにしようと思っても、意思の力とか、そんなの全然無理。薬が脳に直接働きかけてくるんである。
例えば、テーブルの上にドーナツがあるとする。意思の強い私はドーナツを食べない。そして薬を飲む。キッチリ30分経つと、もうドーナツを食べずにはいられない。薬が効いてきて脳が操られてしまうのである。恐るべし、薬の威力。
しかし、スレンダーバディに未練たらたらの私は、ちゃんと薬を調整してくれている主治医のK先生に、太る薬を減らせないかと聞いてみる。先生は言う。
「薬を減らして気分が落ち込むか、そのままいくか、二択だよね」
「じゃ、そのままで」
即決で、そのままデブをチョイスである。うつがひどくなるのは絶対イヤだ。
そんなわけで、私はぽっちゃりとデブの中間くらいで生きることを選択したのであるが、ひとつ残念なことがある。
私はうつ病で5年も療養している。5年も社会復帰出来ないわけだから、そう考えると、なかなかの重病人である。
しかし、世間の皆さんが想像する、重病人というイメージは、痩せていて、はかなげで、折れそうな、切ない感じなのだ。
だから久々に私に合った人は戸惑う。イメージと違って、福々しく太った私は、全然可哀想な病人に見えないからだ。
丸々としたオカメ顔では、大変な病気と闘っている感じが出せないのだ。
…これでは、あんまり、同情されない。
私は同情されたいのである。「大丈夫なの⁈」とか聞かれて「…うん、なんとかね…」などと、力なく答えたいのである。
「デブのまま、いかに悲壮感を演出するか」
これは、今後考えていかねばならない重要課題のひとつだと感じている。