今日の記事は「おばちゃんが大掃除をして、味噌汁を作った」という地味な話である。
しかし、私の人生において、私のうつ史上においては、それこそファンファーレが鳴り響いて天使に祝福されるレベルの、レッドカーペットにキレイなお姉さん達がカゴから花びらを撒いてくれるくらいの、画期的な出来事だったので、ここに記すことにする。
さて、本題。
私は料理をしない。
「出来ない」のではなく「しない」のだ。
そう言うと、何をエラそうに威張ってるんだよ、と思われるかもしれないが、ここが最重要ポイント。
「出来ない」のではなく、自主的に、こちら側から、自らの意志で「しない」と決めたのは、うつ病による罪悪感を手放すためである。
(その経緯はコチラ▼)
上の記事に書いた、私と夫の「時期が来るまで、出来ることしかしない」作戦は見事に功を奏し、私は「しない」宣言以降、飛躍的に回復に向かった。
その回復ぶりに、うつ病になるともれなく付いてくる罪悪感は、これほど回復の妨げになっていたのか、と心底痛感した。
そして私と夫の期待通り、待っていたら時期はちゃんとやってきたのだ。
キッカケは昨年末、クリスマス前のことだった。
我が家は私が発病してから、年末大掃除を8年間、開催していなかった。掃除というのは、かなり脳の認知機能が回復していないと出来ない行為である。掃除していく作業の順番、どこに何を片付けるかという段取り、などなど、いろんな方向から頭を使わねばならない。
そんなわけで、日常的な掃除は気分のいい時に、ちょちょっとクイックルワイパーをかけたりするものの(まとまった掃除は夫が担当)、年末のビッグイベント大掃除は、8年も見送っていた。
――でも今年は、なんとなく、なんとなく行けそうな感じがする。
私は、夫に言った。
「ねぇ、今年は大掃除出来そうな予感。大掃除しようよ」
「本当? まこがやりたいならそうしよう。でも無理はダメだよ」
「うん、ダメなら途中で止めるよ」
「分かった、じゃ次の3連休にやろう」
そして3連休初日の朝、私達はまず、掃除道具と洗剤を買いに出かけた。8年も大掃除をしない家というのは、使える掃除道具や洗剤が無いのだ。
あれこれ買い込み、家に帰って掃除を始めた。なかなか時間がかかる。キッチンを磨き、要らないものをどんどん捨てた。夫主導で、私はサポーターという感じだったが、一生懸命、体を動かし、こんなに働いたのは、いつぶりだろう。
3日間、朝から晩まで掃除をして、ゴミ袋は可燃、不燃と合わせて全部で21袋にもなった。8年という月日が停滞していた分、我が家にはいろんなものがくっついていたのだ。
ゴミを出し終え、ピカピカになった部屋の蛍光灯を変えると、部屋は見違えるように明るくなった。
「すごい、すごい! すごくキレイな家になった!」
「まこ、がんばったな、えらいよ」
3連休最後の12月24日深夜2時、世間はクリスマス・イヴ。
大掃除を終えた私達は、モノが積み重ならず広々となったテーブルで、紅茶を淹れ、クリスマスケーキを食べた。
「キッチンも整頓されて使いやすくなって、なんか私、料理も出来ちゃうような気がする」
と、私は調子に乗る。
「今回はこれだけ掃除出来れば充分。料理はまたそのうち、だよ。無理はしないようにね」
夫に諌められながら、片付いた家で、私はなんだかホッとする。頭の中のぐちゃぐちゃと、部屋のぐちゃぐちゃは連動しているのかもしれない。私の頭の中も、ようやく片付き始めたのかもしれない。
そして年が明け、1月も半ばを過ぎた頃。
私と夫は夜遅くまでやっているスーパーに来ていた。相変わらず料理はしないけど、果物と飲み物を買うためにスーパーには行くのだ。
その時、ふと思った。
――あぁ、自分で作った普通のごはんが食べたいなぁ。
私は夫に言った。
「ねぇ、明日の土曜日、自分でごはん作れそうな予感。材料買ってもいい?」
「まこがやりたいならいいよ。でも無理はダメだよ」
「うん、ダメなら途中で止めるよ。野菜炒めとかは?」
「野菜炒めなら、まこが出来なくても僕でも出来るからな、いいよ」
私達は材料を買い込み、家に帰った。
翌日夕方、私はキッチンに立った。夫が心配して見にくる。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫そう。時間がかかるかもしれないけど、1人でやってみるよ。出来なくなったら助けて」
「分かった、がんばれ」
献立は野菜炒めと味噌汁。薬の副作用で手が震え、包丁は以前のように手際よく使えない。でもゆっくりやれば大丈夫。私はひとつひとつ、順番に作業を進めて行く。味噌汁のダシをとって、味噌汁の具にする野菜を切って、野菜炒めの野菜を切って、ついでにキュウリの浅漬けも作って……
ちょっと迷ったり、もたついたりと、以前の数倍の時間がかかったけど、なんとか一人で料理は完了。
「ごはん出来たよー、1人で出来た!」
「おー、すごいじゃん! 運ぼう運ぼう」
出来上がった料理を、夫と一緒にテーブルに配膳する。
「いただきまーす」
「召し上がれー」
テーブルの上に並んでいるのは、極めて簡単な、シンプルなごはん。でも、これは、すごく特別なごはん。
お椀を両手に包み、しみじみと思う。
――この味噌汁一杯作れるようになるまで、いったい何年かかったんだろう。
好きだった料理が突然出来なくなった不安の日々。
もしかしたら、私は料理がしたくないんじゃないか、と出来ない自分を責め続けた日々。
もう作らない、と決めてからの日々。
作れなかった年月と、作れた今日。
込み上げる想いが胸に迫って、箸がつけられないでいると、夫が笑顔でポツリと言った。
「前と同じ味だよ」
その言葉に、ついホロリ、と涙がこぼれた。
掃除も料理も、やる気の問題、じゃなくて回復の度合い。
ちゃんとその日が来れば、今は出来ないことも出来るようになるのだ。
また出来るようになった喜びは、本当に素晴らしくて、ありがたくて、言葉に尽くせない。
まだまだ出来ないことはいっぱいあるけど、そのぶん再び出来るようになる喜びも必ず待ってるから、焦らないでのんびり待ちながら生きていこうと思う。